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A県議に逆らう
「地方の首長や議員は、中央の選挙運動部隊?」に関することで、私は、自分の漁協の組合長に噛み付いたことがあります。
今は亡き、船越賢太郎宮古漁協元組合長が、県議会議員も兼ねていて、しかも、県漁連の信用部門、県信連の会長でもありました。
彼の名刺を見ると、そりゃあ、ものすごい肩書きだらけでした。
無報酬のものもあったでしょうが、あんなに兼職して、報酬分の仕事をしているとは、全く思えませんでした。
下の投稿文は、1999年の岩手県議会議員選挙の直前にした投稿です。
「岩手日報」夕刊「声」の欄のトップに掲載され、その当時、私の父は、地区の彼の選対の責任者で・・・。
父は辞表を提出するわ、家では父と喧嘩するわ、ははは・・・。
まあ、どんな騒動だったかは、わかると思います。
私も若かったのかもしれませんが、純粋だったんでしょうねえ。
いや、今でも下の投稿文は確かなものだと思います。
だいたい、親と子供が同じ考えを持っているなんて考えるほうが、どうかしているんですよ。
まったく同じ考えだなんて、何と気持ちの悪いこと!
それでは、騒動のタネを読んでください。
先ごろ、A県議の県政報告会を聞きに行ったが、非常に落胆した。地方選挙において国政の政党とのかかわりと強調するのはよくあることだ。特に自民党の場合、長年政権党であるためか、聞き苦しいほど結びつきを強調する。
予算獲得の際に、政権党側につくと有利であるという論理を前面に出して、集票活動を行うこと自体が利益誘導そのものである。予算上の金の流れを見れば、特定の業界の票は行先がわかるということはだれものが知っている。そしてやはり予算を分捕ってきてくれる議員に市民が投票する傾向があるのも事実である。
しかし、この集票システムをかさに自民党は何をしたか。土地神話に乗り、ばらまき政治を助長させ、バブル崩壊後は官民問わず膨大な債務を後世に残した。前回の参院選ではこれらへの批判として無党派層の票が他の政党へ流れ、自民党は敗北している。
この集票システムが今後とも多くの弊害を生むのは目に見えている。今度の統一地方選挙でこれを利用しようとする候補者は不見識としか言いようがない。逆にこのシステムが働かなくなるような予算配分制度を確立しなければならない。それを推進しようとする姿勢や議論が今の議員には求められてる。
(1999年3月1日付「岩手日報」声)
このとおり、候補者の名前は出さなかったんですが、それでも、宮古の漁業者の投稿ということで、簡単に特定されるんですね。
この時の選挙で、宮古地区には3人の候補者がいて、結局彼は当選しましたが、当落の票差は少なかったのです。
もしかして、固定票の何票かは離れたかもしれません。
その数年後、組合長は病に侵され、盛岡の病院から県議会に通うことになります。
その間の政務調査費はどうしたのか?
いったん権力を手にした政治家の欲得の闇は、いろんなところに垣間見られます。
彼は他界するまで、どの役職からも退かず、世間からは「殉職」と称えられていますが、あの健康状態で退かないほうがどうかしていると、私は思います。
取り巻きの人たちもどうかしている。
「船賢さんでなければならない」という言葉を安易に発した輩がたくさんいたでしょうが、実際、他界して世の中が何か変わったか?
変わりません。
あの病床の間に在位した役職は全部停滞し、その時のカネ(あらゆる報酬)ははっきり言えば、無駄なカネです。
今書いた文に噛み付きたい人もいると思いますが、それなら逆に問い返します。
病気を理由に勇退しなくてもいいほど、政治とは甘いものなのでしょうか。
経営とは甘いものなのでしょうか。
船賢さんは、市議会議員に立候補した当時は、それは本当に漁民の味方だった、と誰もが言います。
宮古弁丸出しで演説し、ほとんどの漁業者が応援するほど、信頼されていました。
しかし、転換期は、何と言っても、藤原埠頭の埋め立て。
彼は、市議会議員の中でも、ただ一人反対していたんですが、何かあったのか、埋め立てに同意してしまいます。
それからは、彼は自民党にかなり傾倒し、「漁業者<自民党」、が露骨となり、漁業者と自民党との対立局面で、自民党側につき始めます。
それが最も顕著だったのが、藤原埠頭の再延長問題(「消滅した白砂青松」参照)。
漁協の組合長でありながら、この再延長工事を推進しようとしますが、宮古浦の理事や漁民に猛反対され、その計画は頓挫します。
これにて、宮古浦の漁業者の信用を完全に失うことになります。
このほかにも、宮古湾漁業協同組合連合会(普代漁協から重茂漁協までが会員)の巨額赤字に関する責任問題(俗にいう湾連問題)などにも、彼は関わっていましたから、一般に宮古市で言われている船賢さんのイメージは、少し善人過ぎると思います。
(2004年6月10日)