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地方
特別職の兼職問題
宮古市の体験型観光を考える
岩手県の「あるべき地方の姿」を読んで
地元の食べ物を食べるということ(地産地消)
第三セクターと責任
宮古市の行政改革度
「ことしはどんな仕事をするの〜?」
「自治体経営革命」を読んで
岩手県港湾行政に関する私見
宮古の除雪
政務調査費
地方の首長や議員は、中央の選挙運動部隊?
藤原埋立地はいったい何のためにあるのか?
ある商店での出来事
滝沢村新駅について
みやこ人の人の良さの起源?
地方議会の議員年金
宮古は子育ての地?
自由と安定
特別職の兼職問題
一般に、地方公共団体の特別職は、かなりの兼職を持っている。
自営業のような公的性格のない職業との兼職なら、別に問題はないのだが、公的性格を持つ職業との兼職は非常に問題となる。
そもそも一人の人間が、2つも3つも5つも職業をこなすことができるのだろうか?
無理だ。
2つの職を掛け持つ場合、2人の人間がまじめに兼職の対象となっている職業をこなしたら、どうやっても2人にかなうわけがない。
兼職の結果、片方の職をないがしろにするか、あるいは、双方ともイイカゲンになってしまう。
一方、兼職するということは、報酬も2つ3つ合算される。
「あなたはその報酬に見合う仕事をしていますか?」
この問いに「yes」と答えることのできる市議会議員、県議会議員はどれだけいるだろうか?
モノがどうやって生産され、賃金がどうやって支給されるか、ということに敏感な人間は、まず「yes」とは答えないだろう。
「yes」と答える人間は非常に鈍感で、金の亡者だ。
二つの仕事を一人でするのは絶対に無理がある。
特に公の仕事となると、公金が報酬となるから、いいかげんな仕事は許されない。
それなら、1歩譲って、誰かに任せるべきだ。
特別職に限らず、一般社会の職業においても同様に考えてもいいだろう。
これによって、少しは雇用も生じる。
職責の重い順に役職が繰り上げられ、末端の職員を採用できるからだ。
特別職の兼職がなくなれば、あからさまな利益誘導も少なくなるだろう。
先日行われた宮古市議会議員の選挙においても、4年間の報酬欲しさの立候補が垣間見られた。
立候補者数が定員とほぼ同数か、定員割れか、という観測が選挙前に流れ、それが前議員または各候補の立候補の可否につながった。
一度立候補しないと宣言した議員が、この情勢を見て立候補に転じた例もあるほどだ。
もし多数の候補者が立候補したなら、この人は立候補しなかっただろう。
それほど、彼らは、兼職をしてまで公金がほしいのだ。
あ〜あ、バカくさい。
なんでこんなこと、私が指摘しなきゃならないの?
議員さん連中、よく考えて、少し謙虚になったら?
××さんに、××さん。それに××さん。
××だらけで、このページが埋まる!?
(2002年3月6日)
宮古市の体験型観光を考える
私は従来のハコモノ建設で、観光客を呼ぶという手法には反対です。
これを各地いっせいにやれば、効果が薄れるのは明らかで、リゾート施設ブームは悲惨な結果になっています。
情報化社会でアイデアというのはすぐ模倣されますので、やはり地場産業に直結したものが、永く続くと思います。
したがって、従来の鮭つかみ取りや新規の鮭一本釣りの体験型の観光が良いように思われます。
そこで1年を通して体験型観光が実践できないか、ということを考えてみたいと思います。
1月 鮭つかみどり、カキムキ
2月 ワカメ収穫
3月 コンブすき、ワカメ収穫
4月 コンブすき
5月 潮干狩り
6月 模擬ウニ口開け
7月 模擬イカ釣り、模擬ウニ口開け
8月 模擬イカ釣り
9月 模擬イカ釣り、カキムキ
10月 さけ一本釣り、模擬アワビ口開け、カキムキ
11月 さけ一本釣り、模擬アワビ口開け、カキムキ
12月 さけ一本釣り、模擬アワビ口開け、カキムキ
これにその場で捕獲物の造り方をし、それを食べてもらうという企画もつければ、さらに良いと思います。
NHKの連ドラ「ほんまもん」の感じで。
また、これらの裁き方競争とか、コンテストとか、考えられるものはたくさんあると思います。
私の目に入る漁業だけ考えても、これぐらい出てきます。
ほかの魚種も考えれば、もっと出てくると思いますし、宮古市には野菜農家もあります。
魚菜市場には、たくさんのおばあさんたちが野菜の小売にきています。
これを活用してもいいでしょう。
私が小さい頃は、秋に大根掘りに行ったこともありまして、それもおもしろいものでした。
大根本体が曲がっているために土の中で壊れるんですね。
それを農家の人は上手に掘ります。
私の前の世代の方々は、秋の収穫の際にはよく手伝いに行ったと推測されます。
中学時代の生徒手帳には農繁期、漁繁期休日というのが、書かれていましたから。
まあ、大根堀りは極端な例ですが。
農家の体験企画については全国でよく行われていますが、これを海の幸と組み合わせるのも手です。
そして、山をみれば、山菜あり、きのこあり、果物ありで、せっかくの自然を生かさないのは、もったいない。
これも地元産業の方の利もよく考えて、手法を考えなければなりません。
体験型観光はただ見るだけの観光に比べると、滞在する確率も高くなると思います。
(2002年4月2日)
岩手県の「あるべき地方の姿」を読んで
岩手県のWebサイト「銀河系いわて情報スクエア」にある「あるべき地方の姿」を読み、その感想を書きます。
特筆すべきことはまず、ナショナル・ミニマム、シビル・ミニマム、ローカル・オプティマムを言及している点です。
そしてもう一つは、地方共同税を提言していることです。
ナショナル・ミニマム、シビル・ミニマムとは、「あるべき地方の姿」報告書で、次のように表現しています。
「ナショナル・ミニマム:国家が国民に対して保障する最低限の生活水準」
「シビル・ミニマム:地域特性を反映し、地域住民にとって最低限必要な公共サービス水準」
私のサイトでは、このことを「国または自治体は住民の面倒をどこまでみるべきか」と長ったらしく書いています。
この二つの言葉は非常に便利です。
またローカル・オプティマムとは
「ローカル・オプティマム:地域住民のニーズや、地域の創意工夫を反映した公共サービスで、受益と負担の関係から地域住民が自主的に選択」
とあり、この三者を考え、サービスの分類を行ったうえで、地方分権をどう進めたらよいかについて書いています。
結局は財源が最も大きな問題であり、そこで地方共同税を提言しています。
現在は、地方交付税交付金という形で、国から地方へと配分されています。
その税財源を国税ではなく、初めから、地方共同税という形で徴収するわけです。
日本国中、一律同様に税を徴収すると、人口がたくさんあって企業がたくさんある地方が税収は多くなり、それをそのまま、その地方だけの歳出にあてると、地方間の格差が非常に大きくなります。
そこで地方交付税がそれを調整するために使われてきました。
報告書でも地方交付税を
「地方団体間の財源不均衡を調整する財政調整機能があるとともに、一定水準の行政サービスを全国どこの地方公共団体でも提供することができる財源保障制度である」
としています。
目的は同じですが、税の徴収のあり方を考え直し、地方の自立を促すために地方共同税が提言されています。
地方共同税を執行する場合、単純な調整方法で税を配分すれば、利益誘導の入り込む余地がなくなると言えるでしょう。
地方分権を考えるには、このナショナル・ミニマム、シビル・ミニマムの二つの分類をどうすべきか、が最も重要で、「小さな政府」を考える人間はナショナル・ミニマム、シビルミニマムはできるだけ抑えるように考えます。
逆に福祉主義者は両ミニマムを高くしたいわけです。
私のサイトでは、利益誘導を最大の問題としていますから、当然、ナショナル・ミニマムとシビル・ミニマムを比較する場合、シビル・ミニマムの方がより重要視され、シビル・ミニマムよりローカル・オプティマムのほうが重要視されます。
また、両方のミニマム、つまり、「最低限の生活水準」や「最低限必要な公共サービス水準」の設定も難しいですね。
最低限をどういう水準にするのか、これは「国または自治体は住民の面倒をどこまでみるべきか」そのものです。
しかし、です。
同時に、「がんばらない宣言いわて」のような地域独自の価値観を育てないと、今の社会問題は解決できません。
報告書には、その記述がみられません。
「あるべき地方の姿」とは、地方分権だけではないはずです。
また、報告書の政策決定プロセスは、別に変わったものではありません。
他の自治体との調整を書いていますが、政策間の整合性に触れておらず、なぜこれを考えないのか不思議です。
税の無駄遣いは、ここからくるものなのに!
そして、根本を考えるなら、住民の意見というのは、幸福追求権の限りない濫用へとつながります。
「評価」から「計画へのフィードバック」がなされるとしていますが、効果があるかどうかは疑問です。
ゆえ、よりローカル・オプティマムは、もっと深く掘り下げて検討すべきです。
財政の健全化を目指すためにも、何かプロジェクトを組む場合、債券発行などで先送りせず、「これによって、これぐらい増税になりますよ」、という具合に、住民に負担の意識を植え付けるようにしていかなければ、「評価」することは意味がなくなります。
さらに、分権は自己責任が伴いますから、当然財政管理の責任は地方公共団体にあります。
彼らが、経営者として、どれだけ自分たちの報酬に対して、「自己評価」ができるか、ということも触れなければならないと思います。
今回の「あるべき地方の姿」報告書からは、分権の事務的なものだけが見えて、「姿」が見えてこないのが私の率直な感想です。
(2002年4月6日)
地元の食べ物を食べるということ(地産地消)
今日、帰港中に、仲間の船と無線で話した事ですが、相手の人が、珍しく良いことを言いました。
私が話の流れで、
「今、仲買人の中には、できるだけ地元船が水揚げしたものだけを取り扱いたい、という人が出てくるようになったよ。」
と言ったら、相手の人が
「できるだけ地元の魚を食べるようにするべきだ」
と。
この人は、社会のことをあまり考えることがなく、滅多にマトモなことをいう人じゃないないので、こっちがビックリ。
こんなこともあるんですよ(笑、失礼!)
原産地表示が厳しくなっている現在、消費者は、産地名を意識して、食料品を選択していると思いますが、この不景気で、安い外国産に手が出ているのではないでしょうか。
まあ、それはそれでいいでしょう。
複雑な流通と日本の高人件費のおかげ(?)で、産地名より価格破壊のほうが勝っている、と思うほかありません。
長い目、広い視野で考えるなら、余裕のある方は少しぐらい高くても、できるだけ地元の食べ物を食べてもらいたいものです。
世界的には、食糧自給は難しくなっていきます。
となると、地域の食糧は、できるだけその地域でなんとか自給していこう、という風潮が生まれてくるはずです。
特に日本の場合、いつまでも「金満」を盾に、食糧を輸入していけるとは限らないしょう。
そこでやはり、農業、漁業の重要性が増してきます。
ここでただ重要性だけを強調するのは意味がありません。
消費者運動の一端として、「地元の食べ物を食べるということ」を意識して、地道に地元の食糧生産を温かく見守っていくというのはどうでしょうか?
余裕のある方でいいですから、食べ物だけではなく、地元産を意識して。
(2002年10月1日)
加筆
「地元の食べ物を食べるということ」は「地産地消」のことで、これを書いた当時、私はこの言葉を知りませんでした。
地産地消は、上記のように、「金満」日本を見込んで入ってくる食糧貿易と対立するものです。
単一的な食糧輸入は、地域の食の多様性を破壊するもので、これはすなわち、アグリビジネスの世界支配の餌食となり、今後起こりうる食糧不足に対応できません。
また、地産地消は、地域内の経済に対し、多大な寄与があり、今や地方の自立の重要なキーワードとなっています(一例として宮城県宮崎町)。
親愛なる読者からのメールで、「トレーサビリティ」という概念があることを最近知り、ますます「食」に対する消費者の関心が、食の安全性に向いていることがわかります。
この「トレーサビリティ」は、元々は、計測機器の精度や整合性を示す用語として使われてきましたが、「食」の場合、生産・流通履歴を意味します。
原産地表示の流れが行き着いたところが、トレーサビリティ、というところでしょうか。
トレーサビテリティシステムは、個々の食品にIDを割り当て、それをインターネットでアクセスし、履歴を確認できるものです(鶏卵ではすでに実用化されているかもしれません。たぶん)。
食の安全は、遠くからの輸入食物よりも、日本の産地食物のほうが、近くで確認できる分、確かなものです。
海外産よりも国内産のほうが、トラブルがあってもすぐに対処でき、消費者は安心して食べ物を購入できます。
トレーサビテリティは、地産地消にとって追い風になるかもしれません。
(2004年6月7日)
第三セクターと責任
第三セクターを、現代用語辞典で調べると、「民間と地方自治体の出資による官民共同経営組織」となっています。
事業出資は普通、官のものか民間のものしかなかったのですが、官民の共同出資という新たな出資形態を作り、それを第三セクターという言葉で表現するようになったのでしょう。(←ホントウかな?)
9月22日付岩手日報では、県内の第三セクターの45%が赤字決算だとしていました。
赤字率は全国第二位で、この調査結果を出した東京商工リサーチ盛岡支店では次のように指摘しています。
「第三セクターは民間が手を付けない不採算部門を行っているという言い訳を錦の御旗にしているとコスト意識が低くなる。時代に合わなくなった組織の淘汰が増えるのではないか」
「民間が手を付けない不採算部門」は官がするべきことで、第三セクターの位置付けとしてはふさわしくない、というより、そもそも第三セクターとは何なのか?もしかして、新種の責任のがれの手法ではないか、という疑いを最近になって考えるようになりました。
どうしようもない超過債務の例が、同紙でも挙げている「陸中たのはた」。
誰が責任を取っているかといえば、これも結局、田野畑村の住民です。
第三セクターは、非常に中途半端な社会的位置にいます。
責任の所在が不明確なことから、、明らかに官のやり方です。
これなら、第三セクターという名はまやかしです。
全国的にも有名な第三セクターの三鉄も赤字続きとなりました。
この赤字の責任はすべて県にあります。
当サイトではその指摘をしており、ここでは触れません。
頭にくるのは次の発言です。
県の包括外部監査は三月「現状のままでは破綻の恐れがある」と厳しく指摘。
これは、11月5日付同紙の、八戸新幹線開業の特集(1面)で、三鉄を例に引き出して語っている記事「銀河鉄道の行方」を中にあります。
そんなことは誰でもわかります。
そこのどこに原因があるのか、ということを「厳しく」語らないと。
監査が自分の仕事だけすればいいというようなコメントの仕方は非常に頭にきます(今日は勝手に頭にきています)。
他の領域へもっと踏み込んで、部署同士が喧嘩するくらいの指摘がないと解決しないのではないでしょうか。
責任は誰が取る?
(2002年11月27日)
加筆
地方自治体には、ご存知のとおり、カネはありません。
もしカネがあるならば、自治体が全額出資するはずです。
これを考えると、第三セクターとは、足りない分を民間から資本を募る、という性格のものになるんじゃないでしょうか。
出資した民間会社や個人は、赤字事業の担い手である自治体事業に投資したのですから、出資金は寄付的な性格が濃くなります。
第三セクターで最も尊敬されるべきは、出資した民間会社、または個人であり、その人たちが経営責任を問われるのは、道義的におかしいと思います。
逆に、問われるべき責任についてですが、第三セクター事業によって恩恵を受ける住民にも、責任はあると思います。
例えば、「三陸沿岸の悲願のため」に建設したはずの三鉄に対し、周辺住民が全く協力していません。
これは、その三鉄の負債を、周辺住民が免れることができない、ということを示すものです。
(2004年6月7日)
宮古市の行政改革度
私は、もう時代遅れで、情報が遅い。
まあ、情報集めをほとんどしないので、それは許してください。
他のサイト、ほとんど見ませんもの。
私の場合、インターネットは落書き的な情報発信ですかね。
まあ、たまにでいいですから、暇な時に訪問なさってください。
今日は5ヶ月遅れの情報を持ち出します。
これは「NIKKEI REGIONAL ECONOMIC REPORT」の2002年11月4日付によるもので、全国の行政改革度をレポートしたものです。
人口5万人以上10万人未満の都市の中での順位です。
まず最初に部門別。
透明度
一位 逗子市(神奈川県)
二位 宮古市
三位 館林市(群馬県)
効率化・活性化度
一位 宮古市
二位 東金市(千葉県)
三位 近江八幡市(滋賀県)
八位 水沢市
市民参加度
一位 登別市(北海道)
二位 犬山市(愛知県)
三位 千歳市(北海道)
宮古市
利便度
一位 千歳市(北海道)
二位 柏崎市(新潟県)
三位 岩見沢市(北海道)
六位 水沢市
で、総合評価は。
一位 宮古市
二位 近江八幡市(滋賀県)
三位 柏崎市(新潟県)
七位 水沢市
すごいですね。
宮古市が一番なんて。
しかも岩手で、ベストテンに二つも入っているのもすごい。
しかし、効率化・活性化度が一位ってのは、ちょっとピンときませんね。
他の各市がきっとひどいんでしょう。
ローカルはローカルの道を進むべし。
派手でなくとも、地道な活動、普通の活動が評価された、ということにしておいたほうがいいのかもしれません。
タラソテラピーでマイナスの熊坂市政にも、実はこんなことがあったなんて、私は知りませんでした。
ついでに今日は少し熊坂市長に応援します。
タラソ問題でいろいろな噂が聞こえてきます。
たとえば、これは早稲田人脈がひっかかってるとか、助役がどうのこうのとか、ある会派がどうのこうのとか。
で、何があろうとどんな原因であろうと、市のトップである以上、結果責任は市長にあるわけです。
市の職員の不手際もあったでしょうが、これらすべてを出し切って、職員個人にまで責任追及するのは、道理の通った追及ではありません。
その辺の追求を他に転嫁しない市長の姿勢は、当然ですが、今の無責任社会ではなかなかのものです。
市長は、実は、市の職員には厳しいらしいですね。
私のおばにあたる人は市役所に臨時採用で勤めたことがあるんですが、あの当時は市の職員といえば、机の上に足を載せて、お茶を飲みながら新聞を読んでいたそうです。
そのおばは銀行勤めも経験していて、あまりに市の職員の仕事ぶりにあきれたそうです。
今はかなり改善されたのでしょう、と言っておきます。
例のごとく、脱線しました。
続けます。
褒めましたが、しかし、です。
結果には原因ありで、今回の不手際の調査公表は必須事項で、ツジツマのあう説明は必ずすべきです。
職員個人の名前までさらせ、と言っているのではありません。
いったいどこに責任があったのか、構造的な原因ならばそれを改善しなければならないし、早稲田側ならば、それこそ本当に日本の構造上の問題となるでしょう。
こういうことをしっかり公表しないと、先のレポートの宮古市の「透明度」は眉唾モノですね。
期待してますよ、市長!
(2003年3月25日)
「ことしはどんな仕事をするの〜?」
これは何かの題名です。
わかった人はマル。
宮古市の「平成15年度予算説明書」で、各世帯に配布されたものです。
この表紙の裏に、面白いことが書かれています。
「もし宮古市が100人の村だったら」の項で、次のように一部抜粋します。
一人あたりの市民所得は、236万9,331円です。
一人が納めている市税は、9万4,938円です。
一人あたりの一般会計予算額は、34万7,004円です。
わが宮古市は、本当に三割自治です。
347,004−94,938=252,066円
この差額分を、都会の人たちに負担してもらっているんですよ。
あるいは将来の人たちに負担をまわしているんですよ。
ということを、表現したのだと思います。
ところで、少し見過ごすことのできない予算があります。
それはp8の「公共交通機関の利用促進」のところで、「三陸鉄道の経営強化支援など」に581万円、さらに「生活交通バス路線の運行維持」に3,500万円です。
これには、市民が公共交通機関を利用しなくてもいいくらい裕福になったため、利用者が減り、その赤字補填している、という意味があります(かなりの拡大解釈)。
それぐらい裕福な生活を送れるのに、どうしてもっと納税額を増やさないで、三割自治なのか?
個人の自動車利用と公共交通機関の利用は、反比例の法則に従っています。
それを知っていながら、各自治体は個人の自動車利用を全く制限しようとしません。
制限は、最初は少しでいいんです。
初めからぎゅっとやると、必ず反発だけ買いますから。
赤字補填だけじゃなく、何か実効的な政策を練らないと、私のような者に簡単に足元をすくわれますよ。
ちなみに市の予算の視点でみるならば、この裕福な生活の費用の一部を、都会の人々にツケまわしていると言えますね。
(2003年4月9日)
「自治体経営革命」を読んで
この本は、宮古市の熊坂市長と石川県羽咋市の本吉市長との対談を、熊坂伸子さんがまとめた本です。
地方分権とは?ということに正面から取り組み、地方の自立をどうやって行うべきかについて、同年代の両市長が考えを述べています。
現市政の中での、役所内の苦労話とか、まだまだ改善の余地があるとか、普段の市民が知らない市の姿を見ることもできます。
執筆者は、自治体の職員に読んでほしいと書いてますが、積極的に意見を言うような方にとっても必読の書かもしれません。
そして、自分ならこうやる、とかいう積極的な提言をやっていってほしいものです。
私の場合、この本には半分がっかりしています。
まあ、仕方がないですよね。
それぞれ考えは違いますから。
それでは最初に、私が「いいなあ」と思ったところから指摘していきたいと思います。
「第2章 自治基本条例制定の動き」からですが、基本自治条例とは、自治体の憲法と呼ばれるもので、最初に正式に日本で制定されたのは、北海道のニセコ町でした。
2000年12月だそうです。
制定への取り組みの1番最初は、それより以前の1972年の川崎市で、都市憲章条例案が立案されましたが、残念ながら、当時の川崎市議会は否決しています。
その後、2番目に取り組んだのが神奈川県逗子市で、アメリカ軍関連の問題で、恐らく国策との対立から研究されたのでしょう。
1994年「都市憲章研究事業凍結」を掲げた市長の当選で、頓挫しています。
この挫折した両市の取り組みの背景には、国法あるいは国策と自治体住民との対立があります。
この本では、自治基本条例制定の必要性の法的根拠として、憲法から次のように書いています。
地方自治の本旨に反するものは、たとえ国法といえども違憲(憲法第92条)であり、無効(同98条第1項)であること、および国法は地域においてできるかぎり条例に配慮することが求められる(地方自治法第2条11項)ことから、法律や政省令を、一律に条例の上位に置くことは適切ではないとされています。
(「自治体経営革命」p50)
ここで少し身近な問題を例にしますが、当サイトでも触れている高レベル放射性廃棄物の地層処分候補地に、岩手県も入っています。
原発促進は国策です。
ゆえ、必ず日本のどこかがこの国策の犠牲になるわけですが、基本自治条例を厳格に環境問題に取り組んで制定するならば、地方から原発廃止に向けて行動できるのです。
全国の基本自治条例で、「核のゴミは引き受けない」というような環境問題を真剣に考えるものを作り上げれば、引き受け手のないものを出す施設を作るわけにはいかなくなります。
実際に挫折した川崎市と逗子市は、やはり環境問題に重きを置いていたらしいです。
まあ、金欲しさに引き受けようとするバカな自治体もいますがね。
そういう自治体は、他の自治体が批判すればいいし、このような広域的な環境問題への取り組みは、自治体同士の相互批判がもっとあってもいいと私は思います。(またちょっと話がはずれました)
次に「第5章 硬直した人事管理システムの改善を」で、現熊坂政権になってから、脱硬直人事への取り組みには積極的なようです。
考えてみると、人事制度をいじるってことは非常に難しいですよね。
特に昇格で給料も違うのでしょうから。
船の給料なんて、ただ人数で割るだけですから恨みっこなしで簡単です。
サボった人はホサれますし、上に立つ人がしっかり指示する船なんかは、その辺はみんな真面目になります。
一応、船の上では役割分担していて、誰かが自分の仕事を終われば他の人を手伝うわけです。
こういうところをみると、漁師って口で言わなくても、自然とお互いを助け合って仕事をしているんですよ。
またまた話がわき道にそれました。
不合格者に対する順位通知とか、点数配分、審査体制の公開、判定基準の公開など、他ではやっていないことを宮古市ではやっているんだそうです。
その背景にはいつまで経っても「市役所に入るにはコネだ」との風評が消えないことがあるそうで、私はコネで市役所に入っていたなんて知りませんでしたし、自分の先輩方はコネではいったのかしら?と今さらながら疑っています。
知っている先輩はたくさんいますから、いつか聞いてみようと思います。
どういう答えが来るか楽しみですね。
「第6章 市税滞納者にどう対応?」は「お〜、お〜」の連続で、もし自分が市長になったとしてできるかどうか疑ったりします。
それぐらいの驚きです。
滞納者に対する差し押さえや市営住宅家賃滞納者に対する退去の強制執行もやり始めた模様で、羽咋市との比較でも10倍以上は違っています。
さすがに、抗議の電話が市長の自宅まで行ったらしく、よくやったものだなあと感心しています。
もともと減免制度があり、その制度にも当てはまらない悪意に満ちた滞納者もかなりいるらしく、そのような滞納は税金を真面目に払っている人をバカにする行為となります。
このことを正しく理解し、納税してもらいたいものです。
この市税滞納者への対応、ご苦労様です。
「第10章 介護保険制度」では、本当は、私はあまりよく書きたくないところがあります。
もともと私は福祉の行き過ぎを指摘していますから。
で、熊坂市長の発言で、いいことを言っているところがあるので、それを紹介します。
これは世界中のあらゆる問題、特に地域格差に対する問題を解決する一つの思想といってもいいからです。
これを介護保険だけでなく、政治全般に一貫して浸透させれば、私は何も文句を言いません(笑)。
途中を抜粋引用します。
ただ保険者はあくまで市区町村ですから、自己責任、自己決定の原則の下に地域独自の「オンリーワン」の介護保険が今後もたくさん出てくると思います。
ところで一部の学者が、支給限度額に対する利用率や在宅サービスの利用率を並べてあたかも「地域格差」を強調するようなことを研究発表していますが、私はむしろそれは「地域特性」であり、とやかくいうべきことではないと思っています。
宮古市もそうですが田舎は利用率が低くても満足度が、一般に高いのです。なぜなら家族や地域のコミュニティーがしっかりしてれば当然そうなるからです。
介護保険に「オンリーワン」はあっても「ナンバーワン」はないということを強調したいと思います。
(前掲書p191)
この章で面白いのは「GNP2乗運動」のことを書いていることです。
私は知りませんでしたよ。
これは「いきいき健康都市宣言」の標語だそうで、Gが脳の元気、体の元気、Nがニコニコ、長生き、Pがプライド、ポックリ。
最後の「ポックリ」は思わず笑ってしまうような微笑ましいような。
「ポックリ」は誰しも思うことで、いい標語です。
この辺のネーミングのセンスを、もっと他のものにも出してもらいたいですね。
「第13章 行財政改革とアウトソーシング」と「第14章 行政評価」は今の市政の看板ですから、言うことなしです。
特に「宮古市事務事業評価」で、建設課から出た話などは面白いですし、実現したらなおいいですね。
さて、今度は反対にダメなところ。
「第8章 道路特定財源と命を守る道路」で、道路批判は私の得意とするところです(笑)。
本吉市長は「整備した道路も年月が経てば傷んでくるので、永遠に『道路整備は十分』ということにはならない」と発言していて、熊坂市長のほうは「『道路整備は十分』との意見は信じられません」と同様に発言していますが、この両者の発言は全く違うと思います。
本吉市長の言い分の方が正しい。
道路は壊れますから、必ず補修更新していかなければなりません。
その上、新しい道路をジャンジャン作ったら、いくら税金があっても足りません。
それにこの章の最後に「地球規模の『環境の論理』にもぜひ耳を傾けていただきたいと思います」と執筆者が書いているように、道路を作って車をどんどん走らせようとする政策は、環境を第一に考えようとする県をはじめ、宮古市の広報にも載る、あの市民憲章とも矛盾します。
私はこういうことが大嫌いです。
こんなに政策に一貫性がないのら、政治は誰にもできます。
車を降りて歩きなさい、自転車をこぎなさい、バスを利用しなさい、三鉄を利用しなさい、となぜ言えない?
タラソテラピーに入るより、自分の足を動かすことがどれほど自分にとって健康なことか?
もう、これを書き出したら止まらないのでやめます。
「第9章 中心市街地活性はなぜ必要?」はぜんぜんダメです。
辛うじて読めるところは、「三、個人の利益と公の福祉」のところだけです。
なぜ、ぜんぜんダメか?
ここにはグローバリズムという視点がほとんどなく、それを助長したのが自動車社会であるという指摘もなく、また、人間自体が便利機能ばかりを買うようになったことも指摘していないからです。
グローバリズムは良いことか?ということから始めなければ、こんな結論になってしまいますし、反グローバリズムの視点がないと、スローフード、スローライフという考えも生まれません。
実はそこにこそ、熊坂市長の「オンリーワン」の思想が生まれる余地がありますはずなんですが。
この本では時代のニーズに対応することのみが語られていますが、それは自由経済の単なる掟であって、自治体がすることではないはず。
ケインズ主義全盛の国や自治体としては、国民一人といえども最低限の暮らしから逸脱させまいと、税金その他を使って貧富の平準化に努めるのが至上命題となっています。
行政府がすることは、端的にいえば自由経済の制限です。
それ以外にない。
その制限の理由付けが、それこそ人権配慮であったり、環境問題であったり、あるいは私のいうような反グローバルであったり。
そういう大きな枠組みをしっかり考えて政策立案しないと、政策矛盾、あるいはやっても効果のない政策がでてくるわけです。
最後に書いたところは、この本の全般にわたっての批判ともなっています。
また、ゴミ問題を取り上げていないのも残念でした。
これは「地方を都会が養っている」との、都会の方の声の裏返しになりますから。
ゴミ処理とか、発電関連の問題を、厳格にカネに換算すればどうなるのか、真面目に議論してほしいものです。
おかしいと思っても有権者の声を無視できないでしょうし、合併とか財政問題とかいろいろあって、そんなにうまく市を動かすことは容易ではないと思います。
それでも頑張ってもらいたいですね。
(2003年5月3日)
岩手県港湾行政に関する私見
宮古市、あるいは、岩手県の港湾行政の方向性が、非常に不透明なような感じを見受けます。
先日1月16日付の岩手日報で、宮古港利用促進協議会(会長・熊坂義裕宮古市長)が、同港利用促進アクションプラン策定委員会の初会合を開いた、と報道していました。
委員の中には私と同じような意見の持ち主もいるようで、「四重要港湾の均衡ある発展は不可能だ。県は一港湾に集中投資する政策転換が必要ではないか」と発言なさった方がいたようです。
宮古港は北東を向いている宮古湾の中に位置し、沖合いからのうねりがどうしても入ってきます。
入港船からの苦情はここにあり、着岸岸壁で船が動いてしまうのを何とかならないのかと、港湾関係者に言っているのでしょう。
それを受けて、港湾関係者は、藤原埠頭をもっと沖出ししたいわけで、これが海洋建設業界の思惑を一致し、宮古漁協に対し、過去、埋め立て伺いがあったのは、すでに私は書きました。
これ以上埋めないで、港湾利用促進を行うのならば、別に私は文句はなく、勝手にしなさい、なのですが、どうもそれでは収まりそうにない。
もし、埋めるような決議がなされたなら、もう完全に熊坂市長を追い落とすつもりです(笑。まあ、埋めるようなことはないでしょうが)。
せっかく釜石に内陸からの高速道路が来る予定ですから、そっちのほうに重点的に港湾整備をすべきだと思うんです。
このように、釜石など、一つの港湾に絞って県の流通構造を策定することは、闇雲な道路建設もなくなり、これによって、税の無駄遣いもかなり改善されます。
既存の各港湾は、地場産業が利用すればいいのであって、無理に流通港としておのおのを構築することは無駄でしかありません。
参考までに「銀河系いわて情報スクエア」の
http://www.pref.iwate.jp/~hp0606/
に「岩手県港湾ビジョンを策定しました」というPDFファイル(←リンク切れ)が読んでみてください。
ここには、県内産の製品が他県の港湾から流通していて、それを岩手の港湾からの流通にしよう、そして既存の施設を有効に利用しよう、という主旨で書かれており、過去のパブリックコメントもまとめてあります。
次の日の報道では、今度は宮古市にIT関連企業が立地することになった、と書いてます。
これならば大歓迎で、その製品流通は宮古港を用いるなり何なりすればいいのです。
北東北はどこをとっても、地価は都会と比べれば安いし、賃金も安い。
従来の経済手法で、東アジアの他の国々が発展していくのなら、それらの国でも賃金は上昇していくでしょうから、対外賃金差は縮小していきます。
東京から見れば、北東北は魅力的な「貿易相手」に、いつかはなるかもしれません。
この二つの報道から考え付くことは、既存の港湾は有効利用だけ考え、港湾整備は釜石港の一つに絞る。、
そして、世界に誇る日本のハイテク技術の工場を、北東北、岩手にたくさん誘致することに腐心し、その流通を釜石港を中心にすることが最重要だ、ということです。
今日、タラソテラピーに行ってきまして、偶然そこの研修室か何かで、岩手県議会の港湾学習会みたいなのをやってました。
どんな話が行われたのか、非常に興味があります。
間違っても、また海を埋めようと相談しているようなことはありませんよね。
(2004年1月19日)
宮古の除雪
土曜日の大雪は、報道によると宮古で42cm、今回の大雪では県内最大積雪量でした。
どういうわけか、春先に一気に降るのが宮古の雪の特徴でして、1月に降って以来、全くといっていいほど雪は降りませんでした(少しは降るんですが、気温が高いのですぐ融ける)。
春雪にしては湿り気の少ない軽い雪で、ここ3日ばかりの気温が低いせいもあったのでしょう。
雪かきは、軽い雪のせいで進み、私的には網交換するため、至急の仕事である倉庫前駐車場の雪かきも軽く終わりました(←ウソ?)。
というのも、いつも通る除雪車が通らなかったから、早く終わったんです。
この倉庫の駐車場は道路のそばにあって、除雪車が通ると雪が盛り上がります。
盛り上がった雪は重く、しかも道路の雪が集められたものですから、当然量も多いわけです。
今回は通らず、道路は圧雪状態になり、そのため、駐車場側はきれいに雪かきできました。
圧雪では、車の通行には別に支障はないですから、別に除雪しなくてもいいと思うんですけど。
安全のために除雪する?
ん〜?、これぐらいの雪でアブナイと思う人は、このような日には車に乗るべきでない。
自分の運転技術の未熟さのほうを恥じるべきです。
国道の除雪は、市ではなく、国土交通省の領分ですが、あの除雪車の使い方はやはりどうみてもおかしい。
相変わらず1mmの雪すら残さないかのように、というより道路を削っていくように、除雪車を走らせています。
削っていくために火花が散っているほど。
まるで、少しでも道路を痛め、道路建設業の仕事を増やそうという魂胆があるのではないか、と疑いたくもなります。
少しぐらいの雪を残したって、宮古の場合、どうせ2日も経てば乾燥してしまうのですから、あそこまでしなくてもいいはずなんですが。
20cm以下の雪の場合は、山岳地帯の方だけを除雪し、ほかは素通りすればいいのです。
そうすれば道路も長持ちしますね。
少しでも雪残すと、ブーブー文句を言う人でもいるんですか?
そんな人は運転控えて、バスに乗ってください。
もう一つ、国土交通省の除雪に文句。
私の近所では、歩道の雪かきも共同で行います。
別に取り決めがあるわけではないのですが、お互い助け合う気持ちで雪かきをしてるのでしょう。
しかし、国土交通省の除雪車は、雪かきした歩道へ雪を跳ね飛ばし、今回、翌朝には悲惨な歩道となっていました。
全部雪で埋まっていたのです(苦笑and怒り)。
何度も書きますが、あの除雪車が除けた雪は重いんですよ。
結局、最初からの積雪分を雪かきする破目になりました。
そうでなければ、新たに積もった分だけでよかったのですが。
よく見ていると、雪かきしている人がいると、除雪車は減速していって、いないと加速します。
除雪車がゆっくり走れば、雪はそれほど飛びませんが、速く走ると遠くへたくさん飛びます。
ですから、除雪車が歩道のあるところを除雪するときは、ゆっくり走ること。
どのくらいのスピードで走ればいいかって?
そんなことは国土交通省で調査できます!
それでも、国道に面した家の人は、道路の面積分を雪かきしなくちゃならないのは宿命です。
雪かきサンデーだった宮古は、市民総出で協力しあって雪かきしたことと思います。
今回は市に苦情の電話が多数あったとは聞きませんでした(本当はどうだったんですかねえ?)。
網仕事を終わったあと、イサダカゴを市場へ取りに行ったんですが、民間のトラック類はフル活動で、雪を山盛りに積んで走ってました。
中には、よく批判を受ける道路へ雪出しをする人も見受けられました。
でも、よ〜く考えると、歩道の雪を車道に出すのは批判されて、どうして除雪車が歩道へ雪を押しのけるのは誰も批判しないんでしょうか?
歩道を利用する人は弱者が多いですよね。
逆に車を使っている人は、ある程度お金持ち。
なんか変ですね。
歩道の雪かきしていると、こんな考えが浮かびまして、私もついキレて、歩道の雪を車道に放ってやりました(笑)。
その時通ったドライバーはきっと怒ったでしょうが、今、私が書いたことを考えたら、どう思うでしょうね。
もう今年は雪が降らないように!
(2004年3月8日)
政務調査費
昨日の岩手日報で、岩手県の政務調査費2,770万円が返還される、という記事がありました。
http://www.iwate-np.co.jp/news/y2004/m06/d01/NippoNews_6.html
岩手日報の記事では、「調査研究費には調査のための交通費、宿泊代なども含まれるため、執行額の多寡が調査研究の熱心さと相関するかはわからない」と厳しい見方をしています。
それにしても、その後段の記事には笑ってしまいますよね。
「御食事代」って?
さすがです。
しかもその御食事代には酒代が含まれているんでしょう。
その後にそれを証明する文章が続いていますね。
「運転代行料」
お酒が調査研究に必要ですか!
公金をお酒に使うことができるんなら、一般の納税者も酒代は控除してもらってもいいでしょうし、代行料もOKです。
きっと(笑)。
そんな酒席の会派懇談会の費用が、調査研究費として使われているんですから、ははは・・、その議員の名前まで新聞で公表してもらいたいものです。
公金ですよ、公金。
ちなみに政務調査費は請求すれば、閲覧できます。
以下のサイトに書いてあります。
http://www.pref.iwate.jp/~hp0731/osirase/seimutyousahi.html
もしかして「銀河系いわて情報スクエア」で、全部公表しているかなあ、と思ったら、請求・閲覧せよ、ってことで、甘かった(笑)。
それにしても、月日の流れを感じます。
これが問題になったのは、今から6年も前のことです。
「余ったカネを使い切る」じゃなく、「余ったカネは返す・繰り越す」という「普通」のことが、ようやく県議会で実施されたわけで、この顛末を見ると、今まで余ったカネは、ぜ〜んぶ議員の懐に入っていた、という証明になってしまいましたね。
だって、返還されたってことは、結局使ってなかった、ということですから。
ここで取り上げたとおり、会派の飲み会費用を駆け込み的な領収書にしたりして、いかにも公の「カネをほしい」という態度がみえみえです。
往生際が悪い!
これ、議員様に読んでもらいたいという気持ちが、書きながら沸いてきました。
嫌でしょうねえ。
さて、以下の文章は、私が6年前に投稿したものです。
この政務調査費問題の発端は、山本さんという方の日報論壇への投稿が始まりでした。
それに私も便乗したもので、これは投稿した原文です。
最初にある「本紙の社説を凌ぐものであり」は、採用掲載時点では当然削除されています(笑)。
11月28日付日報論壇の山本氏の投書は本紙の社説を凌ぐものであり、私たち読者にとって、ありがたい社会学習教材でもある。
山本氏の調べられた「県政調査研究交付金」についてであるが、372万円を単純に365日で割ると、1日1万円となる。用途について勝手に想像すると、県政活動の交通費、電話代、書籍代等だろう。ばらつきはあるだろうが、1日1万円を使っているだろうか。しかも県議は兼職が多いと聞くが、他の職の活動経費との区別はつくのであろうか。また全額、帳尻合わせたように使いきれるものであろうか。それとも会派の中で余った人と足りない人でうまく使っているのだろうか。
この交付金はみんなの税金である、不正流用や使途不明というのは公金横領に等しい。そして実質、個人の所得になっているなら、税務署は調べるべきではないだろうか。これらを曖昧にすることは、政治と行政に対する不信感を募らせるばかりである。
ここで提案するが、この交付金に増田知事の言われる「企業会計方式」を最初に導入してみてはどうか。また私たちも来春の県議選で、この交付金の使途を本人に尋ねて、投票の際の判断材料にしてみてはどうか。
(1998年12月8日付「岩手日報」声)
6年たってようやく、じゃなく、昨年度のものですから、5年ですか。
ただ「普通」になるのに、5年じゃ、長すぎる気がしますね。
これが県民の代表者の姿では・・・・。
(2004年6月2日)
地方の首長や議員は、中央の選挙運動部隊?
6月7日に、熊坂市長は、自民党推薦の候補を応援すると、明言しました。
http://www.iwate-np.co.jp/news/y2004/m06/d07/NippoNews_16.html
ご存知のとおり、私は自民党を大嫌いでして、自民党を支持する人は、利益誘導を期待する人だと私は思っています。
その辺にある自民党の講演会などのポスターを見ると、「地方主権」と書いてありますが、利益誘導主義の政党が、「地方主権」を言うのはおかしいです。
ホント、おかしいんですよ。
確か新進党があった時代でしたか、自民党政権であったにもかかわらず、増田知事は新進党を支持し、それで痛い目に遭ってます。
支持しなければ予算が来ない、というのは、「政権を支持しなければ、カネをやらぬ」であり、利益誘導を通り越して、露骨な金権政治そのもの。
予算要求の良し悪しではなく、自民党を支持すれば、予算が来るんですから。
こんな予算配分のしているようじゃ、「地方主権」を言う資格はないはずです。
また、中央の言うことを聞かない知事、あるいは、中央に意見をする知事も、国会議員や官僚には、心の中で嫌われているでしょう(これは憶測です)。
予算の最後の、本当の最後の部分は、関係者の裁量です(裁量じゃないという人は、それじゃ、何を基準にしているのか、私は聞きたいです)。
その裁量部分は、「嫌い」な知事のいる県よりも、「好き」な知事のいる県へ振り向けれられるのは、道理である、と私は考えます。
つまり、地方は、中央の「好き」な存在になることができれば、少しは予算が多めにつくかもしれない、という考えに期待するわけです。
これじゃ、いつまで経っても、自民党の利益誘導主義の思うツボ。
それじゃ、どうすれば地方は、利益誘導なしで予算を獲得をできるのか?
それは「利益誘導を排除せよ」にヒントの一つを書いてますし、岩手県でも似たような「地方共同税」を提言しています(「あるべき地方の姿」)。
二大政党の場合(そうなりつつありますが)、首長が特定政党を応援し、その政党が政権党じゃなくなった場合、過去の増田知事が経験したように、その首長の自治体は、冷や飯を食わされます。
各首長は、そうなった場合のことを考慮すべきです。
もう一つ。
中央政府と地方が対立する局面、例えば、原発立地問題などで、国と地元の対立をみればわかります。
自民党の(政権党の)選挙運動部隊は、この対立局面では、原発推進部隊に変化します。
まったく関わりのない首長や議員は、平然と反対するでしょう。
いいかげんな気持ちで中央政党と関わると、中途半端な行動を起こすことになり、地元の利益とはなりません。
以上の理由から、地方の特別職は、あらゆる選挙において、中央の政党に関わることは控えるべきで、すでに政党応援をしている地方の特別職は、その時点で、地方自治に無責任である、と言えます。
逆に考えて、「地方主権の獲得」、「地方の自立」のために、「中央の政党との関わりが必要なのか?」ということを考えれば、そうではないはず。
本気で「自立」したいのならば、中央の選挙運動部隊となるのは、おかしいんじゃないでしょうか。
したがって、熊坂市長の行動は、市民に対して無責任だ、と私は思います。
記事を読むと、高橋洋介候補者が、市長の医師時代に知り合った医療関係者であり、また、過去の選挙で、自民党と持ちつ持たれつの関係を維持してきたことに、自民党候補者を支持する理由があるようです。
熊坂市長は、“医師”を辞めて市長になったのだから、こと医療関係者に応援することは慎むべきであり、また、政策判断なしに、単なる選挙応援の有無で支持を決定したのなら、それは、“地方”の首長の判断としては、愚かな判断である、としかいいようがありません。
地方の特別職は無所属(あるいは自由勢力。「政府からの自由」→「地方主権」という意味)が基本である、ということをかなり前から書こうと思っていたのですが、どうもうまくまとめられません。
私の筆力では精一杯な気がします。
(2004年6月10日)
藤原埋立地はいったい何のためにあるのか?
ちょっと前に藤原埋立地を視察(笑)に行ってきて、唖然としました(写真)。
どこを見ても、丸太だらけ。
海からも毎日といってもいいほど見てはいるんですが、あらためて現場へ行って眺めてみると、広大な敷地に、すごい量の丸太が積まっているのでした。
南側を写した写真にだけ、コンテナが少々存在していて、実際、丸太以外のブツはそれだけです。
この広大な埋立地は、旧足立ベニヤ、現ホクヨウプライウッド社専用資材置き場になっているのです(本当はいろんな会社が関係しています。笑)
結局使い道がないいでしょうねえ。
困ったものです。
そのため、以前磯鶏にあった貯木場は、貯木場じゃなくなっています。
私の高校時代には、黄金浜沖だったかトド浜沖だったかに赤ブイがあり、それに外国船が繋がって、そこから丸太を連ねて小舟が貯木場まで引っ張って行ったものです(黄金浜からトド浜にかけての埋立地も、ただの土砂置き場)。
これも宮古湾の風物詩の一つでした。
埋め立ての結果、これらの作業が、藤原埋立地に外国船を横付けして丸太を陸揚げする、ということに変化し、宮古湾の環境はものすごく変化しました。
結果だけを見れば、木材産業が得をして、漁業が損をした格好になっています。
あんな丸太置き場専用岸壁で、県では未だに宮古港のポートセールスをしているんですから、このポートセールス事業は、胡散臭い事業ではないかなあと思ってしまいます。
私は、あの海王丸、そう、今年富山県で悲惨な目に遭ったあの帆船海王丸に、体験航海で乗船したことがあります。
宮古港開港何十周年記念だったから忘れましたが、その時だったかなあ、あれもポートセールスの一環だったのでしょう。
県のその関連部署の職員と一緒になりまして、ポートセールスの名刺をいただきましたから。
あの頃は、藤原埋立地はキレイでした。
今では汚い。
とてもポートセールスどころではありません。
この宮古港は、せいぜいコンテナ船くらいしか接岸できる代物ではありません。
ウソだと思うなら、ぜひ車をそこへ走らせてみてください。
百聞は一見にしかず。
この藤原埋立地については、サイト発足時に書いたページで触れていますが、その時は空き地が多かったのです。
今や、その空き地も丸太で埋まってしまいました。
それほど埋立地の用途がなく、せいぜい丸太置き場としての使用料稼ぎしか使い道がないのでしょう。(バカどもめが! ←つい書きたくなりますよね。この気持ちわかるかなあ?県の職員様、わかりますか?)
現在の海岸線とを比較できる良いページがあります。
http://www.miyako.gochisou.info/hanasu/airpic/cto-77-4_c6_36g.html
これはみやごのごっつおサイト内にあります。
写真を見れば、磯鶏海岸がまだ残っていて、埋立地はただの荒地です。
20数年前の写真だそうです。
あ〜、なつかしい。
私は高校時代、この磯鶏海岸からヨットを出艇していました。
当然、黄金浜、トド浜は、その頃健在でして、宮古市で開かれるヨット競技は、すべてトド浜が会場でした。
砂浜から「ワッセ、ワッセ」の掛け声で、ヨットを送り出したものです。
あのような人力運搬も懐かしく、また、あの頃の方が、老若男女問わず交流があったような気がします。
余談になりました。
すみません。
(2004年12月10日)
ある商店での出来事
宮古市内のある商店で、北海道産の新巻鮭を売っているところがあります。
銀毛の鮭で、1尾2800円でした。
私としては、地元産の鮭を販売してほしいのですが、なかなかそうはいっていないようです。
会計する時、「なぜ北海道産なの?地元でも獲れているのに」と聞いたら、「銀だから」。
「銀毛なんて、ここで獲れているよ」と言ったら、今度は「安いから」。
銀で安く、しかもお客さんから注文があって売れている、とレジのおばさんは言っていました。
その割にぶら下がっている新巻鮭は減らないなあ。
以上は、1週間ぐらい前の話ですが、今や鮭の漁はプッツリ切れてしまい、あの安かった鮭が新巻となり、魚菜市場では何と4000円から5000円が相場だそうです。
驚き!
こりゃ、今年の加工屋さんでは蔵が立つ(盛漁時、宮古魚市場での取引価格は、オス1尾300円以下がほとんど)。
本当はちょっとぐらいの値段の差なら、絶対に地元産を扱ってほしいし(理由は「地元でモノを買うということ」)、他の地方への発送で、岩手産、宮古産としてアピールできるかもしれませんし。
ところが、北海道から仕入れたら、その代金は北海道へと流出し、しかも、岩手から北海道産がお歳暮として発送されたら、シャレにもなりません。
しかし、これだけ値段に差があると、思わず考えてしまいます。
地元産にこだわるべきことは、みんな理解していると思うんですが、これを逆に利用して、地元の加工業者は、ただひたすら儲けようという魂胆が見え見えです。
「岩手産は高い」とレッテルを貼られるのがオチ。
ここに何となくですが、岩手は宮古の不活性要因を見出すことができると思います。
魚屋さんや加工屋さんなどは、宣伝などアピールするための販売戦略も立てず、そのくせ「地元産を!」じゃ、あまりに都合が良すぎますし、一方、消費者側は、安いから他県産、あるいは海外産を選択するわけですから、もうこの「漁師のつぶやき」はどうにでもなれ、となってしまいますよ、ホント(笑)。
売る側と買う側が一体となって、宮古をダメにしているんですね。
バカくさくなってきた〜。
(2004年12月15日)
滝沢村新駅について
これは「石油エネルギー投入量を考えよう」第3弾です。
石油エネルギー節約事業
まず最初に岩手日報の記事を読んでください。
http://www.iwate-np.co.jp/news/y2005/m01/d13/NippoNews_12.html
私は、経緯や地元の状況を全く知らないので、新聞記事からの類推だけで、いろいろ書いてみたいと思います。
新駅建設には、いろいろな目的が列挙されていますが、私が注目するのは、交通渋滞緩和。
滝沢村は、盛岡市のベッドタウンですから、通勤している人がたくさんいるわけです。
しかし、盛岡市内の道路は整備し尽していて、もっとやるとなると、東京みたいに立体的に道路網を構築するしかないと思います。
私が盛岡にいた頃(もう20年前の話ですが)は、交通渋滞は夕顔瀬橋のところで目立つ程度で、のどかな街でした。
今や、慢性的な渋滞はあちこちにあり、それだけ交通量が増えたのでしょう。
これらは憂慮すべき問題です。
渋滞は、石油エネルギーの無駄です。
そして、それを解消するために立体的な道路を建設するとなると、普通の平地の道路に比べエネルギーの投入量が大きいのは明らかで、かなりの石油エネルギーを使用してしまいます。
道路は常に修繕しながら維持されますから、そのエネルギーも道路の長さに比例して大きくなります。
交通の便が良くなれば、ますます都市周辺に人口が集積し、また渋滞が起きます。
このように、道路整備と渋滞はいたちごっこを繰り返します。
これじゃあ、いくら石油があっても足りなくなりますよね。
先ほどのいたちごっこの最終的な結果は、東京都などの大都市を見れば明らかで、結局は通勤手段は、電車などの公共交通機関となります。
滝沢村では、これを先読みし、村民に通勤手段を鉄道に転換しようと促しているのだ、と私は考えています。
そうすれば、渋滞緩和分と鉄道通勤に転換した各自動車分の両方で、エネルギー使用量は節約でき、排気ガスの排出量も削減できます。
さて、住民側の理解は?
この記事の中に次の記述があります。
村側は「住民参加を取り入れて駅設置場所を検討してきた」と理解を求めたが、住民は「多くの住民が利用するとは思えない駅になぜ多額の投資が必要なのか」と詰め寄った。
このように、住民側は全く状況を理解していないわけです。
道路財源など地方にはない
今や地方は自立の時代を迎え、中央からのカネをあまり目当てにできなくなります。
さらに、手遅れ、とさえ言われている財政問題もかかえ、カネのかかる立体的道路網なんて、夢の話です。
だから、少なくとも通勤手段は、既存の鉄道IGR(いわて銀河鉄道)を利用しよう、ということなのでしょう。
そうすれば、財政負担は新駅建設だけで済み、新たな道路建設などしなくてもよく、これによって渋滞緩和もできれば、一石二鳥となります(一石多鳥です)。
通常ならば廃止路線であったIGRを、第三セクターで救ったのに、利用しないとはなんともったいない話。
これは三鉄にも言えるわけですが。
民主政の終わり?
駅の設置場所は最良の場所なのかどうかは私にはわかりませんが、もし巣子新駅が最良の選択であるならば、記事中の「村が行った住民アンケートでは、駅を普段使う住民は数%」ということを理由に新駅建設反対とは、なんとも情けない話です。
住民意思とはこんなものなのでしょうか。
きっとこれは、住民エゴが民意となる好例です。
これで住民側が勝つとなると、これは民主政の限界を示すものです。
記事中に熊坂伸子さんの名前がありますが、ご存知のとおり、熊坂宮古市長の奥さんです。
夫婦でありながら、タラソラピーと新駅建設のエネルギー投入量にみる政策比較で、これほど対称的です(「石油エネルギー浪費のタラソテラピー」参照)。
こんな比較をする人は、なかなかいないでしょう(ごめんなさいね。熊坂市長様、熊坂助役様)。
(2005年1月21日)
みやこ人の人の良さの起源?
宮古人は商売が下手、だとよく言われますが、これは、あきらめの良さに関係あるんじゃないかなあ、と私は思ったりします。
お人よしというのかなあ?
私の目に映る宮古人の中の商売上手は、ちょっと意地悪な人とか、図々しい人とか、そんな人が多いような・・・。
というわけで、私の独断で、迷解析(?)します。
これは父(69歳)から聞いた話ですが、宮古に、創生期の鱒縄の船がたくさんあった頃は、全部が木製の船でした。
宮古にも、何箇所か新造船を作ったところがあり、今思えば欠陥の船がたくさんあったとのこと。
例えば、出港する前から、長靴をはかなければ歩けないほどデッキには海水が乗っていたり、船が傾いてもなかなか戻ってこない船とか、時化になると船員室にアカ(浸水した海水)が入り、船が傾いた方向が風下になるから、そっち側の戸を開けて、みんなでバケツで排水したとか。
鱒縄にしろ、マグロ縄にしろ、当時の乗組員は本当に命懸けで航海に出たようです。
昭和一桁や10年代生まれの宮古の漁師さんに聞いてみると、「あの時にあの航海を休んだお陰で、今、生き残っている」という人がなんと多いことか!
その休んだ航海に、乗っていくべき船が遭難して、全員絶望という事態になったりして、今宮古にいる漁師さんというのは、本当に“生き残り”なのです。
それでも船乗りは絶えなかったのは、宮古に職業がなかったからで、役所関係、漁業関係以外は、ほとんど都会へと出て行き、宮古にいる場合、就職機会はなかなかありませんから、当然飯を食うためには船乗りになるしかなかった。
そんなわけで、半分「あきらめ」て、船に乗ったのでしょう。
この「あきらめ」は、その辺の簡単な「あきらめ」とは違います。
八方塞の状態で自分の命を懸けた「あきらめ」であり、それゆえに、わざわざ「遭難するかもしれない」船に乗っていったのです。
所詮、人は、自分の意志でどうにでもなれるわけでもなく、なすがままにしか生きられないのだ、という自然の掟(自然法)に素直に従うしかなかった。
この「あきらめ」の中に、宮古人の人の良さを見出せます。
宮古の人は、どちらかといえば、対立局面では引っ込みます。
控えめにすることに美意識を感じる、とは誰も考えていないと思いますが、どうしてか、宮古人は引きます。
そんな局面では、「なんだか商売にならなくなったから、やめっか」というようなことを言い出します。
そのくせ自分のやるべき仕事となると、寝ないで頑張るんですから、対外的に戦略がなさ過ぎるといいますか、どうも人が良すぎるといいますか、表現に困ってしまいます。
対外的な圧力には「あきらめ」、内の仕事は「頑張る」。
これは、前時代の“遭難するかもしれない”という自然に対する「あきらめ」と、そんな中でも船に乗ったらしっかり仕事を「頑張る」という構図と、オーバーラップして見えます。
そんなわけで、宮古人の人の良さの起源は、漁師の自然に対する「あきらめ」にあるんじゃないかなあと思っています。
「魚菜王国いわて」で紹介した、「きっちゃん」さんの投稿文の、できれば遺恨を残したくない、という感情は、ある意味、宮古人の人の良さを物語るものだと私は思っています。
また、今年の正月の同級会で、大船渡に嫁いだ同級生と話をしました。
彼女も、宮古人の人の良さを、向こうに行ってから実感したといいます。
県南のほうへ行くと、対立局面では、なかなか相手は譲らないんだそうです。
この対立局面での“引く”構造のことから、「だっけ〜、みやごはダメなんだ〜」と言われそうですが、私はこんな宮古人が好きですね。
もちろん、“引かない”人もいます。
例えば、私のような(笑)。
でも、一般的といいますか、まあ学問的(?笑)といいますか、平均的といいますか、宮古人は人がいいです。
そして、どうせなら、ず〜と宮古は拓けないで、田舎のままでいてほしい(と思うのは私だけでしょうけど。でも充分に開けすぎたような・・・)し、人の良さも永久的であってほしいと思います。
疲れるから、もう都会へは行きたくないし、宮古もこれ以上栄えなくていい。
今住んでいる人たちが変わらずに、みんなうまくやっていけばそれでいいじゃないか。
漁師仲間や農家の人たち、中学時代の悪ガキたち、根っから宮古にしか住めない人、そんな人たちとうまい酒を飲みうまいものを食べ、、ワイワイやりたい。
私の望みはただそれだけです。
(2005年2月5日)
地方議会の議員年金
議員年金廃止論者河村たかしさんのことを、私は「年金制度と自己責任」で紹介しています。。
議員年金は、国会議員だけの特権ではなく、地方議会の議員の特権でもあるようです。
市議会議員、町議会議員、村議会議員は、3期12年在任すればその資格が与えられ、国民年金や厚生年金との重複受給ができるものすごくオイシイ年金なのだそうです。
詳しくは、「議員年金廃止アクション−神奈川ネットワーク運動」を参照してください。
そのページの中でも特に私の目に留まったのは、次の文です。
しかも、市町村と県と国と別々の制度になっており、市町村議員と県会議員、国会議員を一定期間以上経験すると、ダブルでもトリプルでも受給できるというところが「おいしい年金」と言われるゆえんです。
(「神奈川ネットワーク運動ホームページ」議員年金廃止アクション)
私はビックリして腰を抜かしてしまいました。
身近に存在するあの議員たちも、税金を財源とするオイシイお金を二重取り三重取りしようとしているんですから。
考えてみれば、「○期○十年の実績」というよく聞く現職候補の演説言葉は、このように「オイシイ税金を私は皆さんから頂くんだよ〜」と陰ながら主張していたんだなあ、と今気づきました(笑)。
皆さんも、「○期○十年の実績」という言葉を聞いたら、議員年金の受給のことを思い浮かべてください。
いつまでも議員に留まりたいのは、そのためなんですねえ。
地方議会の選挙で当選すれば、必ずどこかの会派に属します。
初当選した人は、同じ会派の先輩議員から、「コレコレ云々のオイシイ特権があるよ。議員年金は特にオイシイから3期は務めなさい」とか、コソッと助言するんでしょうねえ。きっと。
みなさんも、議員を目指し、頑張ってください(笑)。
河村たかしさんは人相はあまり良くないです(河村たかしさん、ごめんなさい!)が、年金に対する姿勢は国会議員中最も良く、河村たかしさんのサイト「★ようこそ衆議院議員河村たかしのホームページへ★」へ行って、「議員年金廃止法案、提出者&賛成者及び法律案」のページを見てみると、「国会議員互助年金法を廃止する法律案」の全文が掲載されています。
そして賛成者の中には、本県出身の達増拓也さんの名前があります。
なかなかのものですね。
議員年金制度がこのまま続けば、この法案提出者、そして賛成者の人たちも、議員年員をもらうべき立場の人たちです。
しかし、わが国の年金制度のことを考え、このような行動に出たのでしょう。
それに比べ、身近な地方議会の議員から、そんな話すら、全く聞いたことがありません。
まったく口先ばかりの能無しで、自分の懐しか考えないダメな連中です。
今まで真面目に投票所に足を運んでいた自分が、まるでバカに見えます。
私は、次に誰か地方議会の議員に会う機会があったら、そのことをズケズケ言うつもりです。
覚悟しなさい!
みなさんも遠慮なしに懲らしめてください。
(2005年2月6日)
宮古は子育ての地?
高校再編で県内の教育関係者は、頭を悩ませていると思います。
まず一般的によく言われる、宮古には商業高校が必要だ、水産高校が必要だ、と言われ、私みたいなひねくれ者は、「本当に必要だろうか」と思ってしまいます。
それにしても、宮古商業って人気ありますよね。
岩手日報Webサイトの表を見ると、宮古高校と同じくらいの競争倍率です。
でも、競争倍率が高いことと私が書くことは、まったく別物です。
今日は、存続理由の一つである「就職に有利」ということについて考えてみます。
高校を終わって就職するとして、その就職先の所在地はいったいどこが多いのでしょう?
少なくとも市内ではないことだけは確かです。
市内にそれだけの雇用はありませんし、県内でもかなり厳しいと思いますが、ここでは市内か市外かだけを考え、圧倒的多数で市外就職が占めると思います。
ということは、宮古にある高校は、宮古市以外の労働者を育成するための教育施設だった、と言えるわけです。
極端だと思われるかもしれませんが、地域社会の人口流失や高齢化が現実問題である以上、このことは明らかです。
親たちはこの事実に無自覚で、それでもって高校のあり方を論じるわけですから、本当は地域のことなどどうでもよく、ただ自分の子供がどこであろうと就職さえすればよい、と考えているのではないでしょうか。
これならば、いくら市内で少子化対策を講じても無意味です。
就職先がほとんど市外で、税収が増えるわけではありませんし、そのまま高齢化は進行して、結局は宮古市は福祉事業に押しつぶされる運命となります。
宮古商業が就職に有利であるというのが正しいとして、しかも地元に商業高校がある。
これは確かに、親にとってはこれ以上に願うことがないくらい理想なのかもしれません。
上述の構造でこれを考えるならば、宮古というこの地は、子育ての地でしかない、ということです。
ただの子育ての地。
私は今まで愛国心というのを真面目に考えたことがありませんでした。
しかし、故郷を想うことは、日本を想うことと同じこと。
宮古という地域社会がどうなればいいのか?については、それぞれ考えが違うと思います。
しかし、宮古がただの子育ての地だったとなると、ものすごく寂しくがっかりしてしまう。
これは宮古を想う人たちに共通するのではないでしょうか。
本当にそれだけの地域社会でしかなかったのか。
「就職に有利」なためだけの高校教育とは、なんと悲しいことか。
新規の漁業就業者のないことは宮古の苦悩で、その反面、漁業に見る経済では、今年度のトロール漁業は史上空前の景気。
それでさえ乗組員の高齢化は避けられず、たとえ船頭が若くとも、船は動かなくなる恐れがあります。
養殖漁業しかり、定置網しかり、小型漁船しかり。
あと10年経ったらどうなるのだろう?
あと20年経ったらどうなるのだろう?
今の漁業の規模はとても保てず、3分の1になるのか、5分の1になるのか、私にはわかりませんが、中央から販売収入は、確実に、しかも大幅に減ります。
「宮古商業高校を守る会」だけでなく、すべての親たちに問います。
本当に必要な高校教育とは、何なのか?
あまりに難しすぎて、私には皆目見当もつきません。
前に書いた「基礎的な学習の重要性」とて、その行き着く先は市外就職です。
減少する漁業人口だけを考えて答えを出せば、それは簡単かもしれない。
「漁業従事者を増やす。そのような教育をすればいい」。
しかし、それをどうような方法でやればいいのだろう?
宮古はもうダメなのだろうか?
と、書きましたが、私は別に悲観していません。
これは現実として受け止めるべきものであり、漁業者人口が減っても、宮古が消滅するわけではありませんから。
私が考えうる20年後の予測として、宮古市にカネがなっていくのは確実ですし、それにともなって人口も減り、かなり寂れると思います。
私はそれでもいいと思います。
宮古を想う気持ちのない自分勝手な考えの人は、宮古にいても仕方がない。
そんな考えの人は、本当は厳しい自由世界、グローバルな経済社会が似合っています。
宮古が寂れても、小さくなっても、それに見合った政治行政組織をしっかり構築しさえすれば、今よりも自然は回復し、住み良い宮古になると、私は想っています。
その中で、宮古を想う者同士が、自分の考え、気持ちを語り合う。
うまい酒やうまい食べ物を食しながら。
(2005年2月19日)
自由と安定
自由と安定
「付録 フランス人権宣言にケチ!」という投稿文は、自由と平等は両立しないという論理を、フランス人権宣言を利用して書いたもので、利用したことは、この人権宣言の起草者には失礼にあたるかもしれません。
しかし、「自由かつ平等」という言葉は、なかなか探すことができず、利用させてもらった次第です。
私は最近、「自由と安定も両立しない」ことについて、考えるようになっています。
自由と安定が両立しないことも論理です。
完全な自由とは、常に競争状態で、上がったり下がったりを繰り返します。
これを安定とは言いません。
協定・大手拒否
安定の方法として、地域内で協定したりしますが、少数で過剰に独占すると、独占禁止法で制限されます。
しかし一方では、国益や地方存続のために、正当化されたりします。
国益を守るために、例えば農産物輸入自由化に反対することなどは、国内を守るため、そして国内を安定させるための協定と言えるでしょう。
それに反対する勢力というのは、当然自由勢力で、あのWTOという組織がそうであるということは理解できると思います。
地域協定の身近なものは、大手業者の進出拒否。
これに対する非難というのは、もっと大手の企業を地域へ入れて、競争原理を取り入れ、消費者(または生産者)に利益をもたらすようにすべきだという考えが基本になると思います。
しかし、大手グローバル企業というのは、強大な資本力があるために、利益にならなければ簡単に撤退します。
この撤退が、地元の零細企業を追いやってからだと、地域社会にとっては致命的なものとなります。
漁業者としては、大手企業が入ってきて、地元の仲買人よりも高値で魚を買ってくれることは、確かに収入増になります。
高値で落札した大手企業はどれほどの値段で他所に売るかはわかりませんが、まさか損をするような売り方はしないでしょう。
それで利益を計上したとしても、そのカネは宮古には残ることにはならないのです。
大手企業がその資本力を使って買占めを敢行すれば、地元の零細企業は窮地に追い込まれ、従業員の解雇、最悪の場合は倒産、夜逃げとなります。
旅の人間が地域内を荒らすことに、たいていの人は無関心ではいられないはず。
それがたとえ漁業者の利益となっても、嫌なことには変わりありません。
「宮城県志津川で起きたこと」を読めば、大手企業が地域に根付くということを全く念頭においてないことがわかるはずです。
宮古魚市場では、大手の業者は入れていません。
このようなことを敢行している魚市場は、県内では宮古だけかもしれません。
しかし宮古魚市場は、県内でも比較的高い値段で取引され、それを知っている漁業者は遠くからでも陸送で運んできたりします。
それだけ地元の企業が頑張っているということにもなるわけです。
今のところ、このような地域内協定が、宮古魚市場内ではうまく機能しています。
私は、地域の利益というものを考えると、ある程度の地域内協定というのは必要なものだ、と思うようになりました。
安定というものが、このような局面に見出すことができるからです。
もちろん、政治家が介在する利益誘導を排除しての話ですが。
地方の自立
地方の自立は、現状では、グローバリストを排除して初めて確立されると思います。
「方針変更」ですでに書いているように、国から地方へのカネは今後どんどん少なくなりますから、地方からのカネの流失を避けなければならない。
イオンやローソンみたいな、地方からカネを吸い上げる国内グローバル商人(←勝手に私が命名しました。笑)を排除していかないと、地方には本当にカネがなくなります。
グローバリストにいいようにされれば、地方は自立できなくなり、結果的に不自由となります。
グローバリストの不自由は地方の自由。
グローバリストの自由は地方の不自由。
グローバリストの排除を県や市が表立ってやったら、いろいろ非難されるでしょうから、消費者の側が賢くなってモノを買うようになってほしいものです。
いわてフレンドリーレストラン
いわてフレンドリーレストランの指定は今年で2年目です。
と言っても、何のことかわからない人がいるかもしれませんが、これは岩手の食材を使用し岩手をアピールしてくれる店に対して、「いわてフレンドリーレストラン」という名称を指定している県の取り組みです。
うれしいですよね。
「岩手応援団」。
ローソンに先日入ってみました(これを書くためにわざわざ大阪商品にカネを献上した!)。
弁当は仙台で作られたものを販売しています。
酒のつまみ(?)となる漬物は、盛岡市の漬物屋さんのものでした。
宮古で作ったものは?といえば、たった一つだけ目にしまして、それは菱屋さんの「千両男山」の安い一升瓶が置いてあっただけです。
その他のほとんどの製品は、当然のごとくローソンの流通にのったルートで送られ販売されているのでしょう。
コンビニに限らず、独自の流通で販売されるものは、すべて同じだと思います。
ただ、コンビニの場合、値引きなしの販売価格そのままですから、高い。
なぜあんなものを利用するのかは知りません。
「便利だから」という人もいるかもしれませんが、本当に便利なのかしら?
都会の料理人たちが、岩手の食材を使って応援してくれているのに、ローソンなどは岩手に進出しても、ほとんど地元の食材を使用しません。
おにぎりは“新潟コシヒカリ”と書いてありますから、間違っても岩手産米ではないですよね(おにぎりぐらい岩手のを使えよ!)。
あの弁当その他に使われる食材はいったいどこから来たものなのか?
もしかして外国?
ローソンなどは、岩手にとってマイナスの存在でしかないような気がしてなりません。
これぐらいはやっても・・・
自由を武器に、グローバル商人らはどんどん地方を侵食しているのですから、これは地元の不利益です。
ここで岩手に進出する国内グローバル商人らに、地元の食材の利用を国内グローバル商人らに促すべきだと思います。
それぐらいは、公がやったっていい。
県は県内のことを考え、市は市内のことを考え、自由の行き過ぎを制限することは、何も悪いことじゃない。
逆に、このことを理解しないハゲタカ商人など、非難されて当然です。
彼らが、地元のことを考え、地元の食材、製品を利用してくれるならば、それ以前よりは、地方のモノが動き、地方は“安定”します。
自由の制限、特にグローバル商人らの自由の制限は、地方を安定させるためには、必要なことだと私は思います
以上のことより、地元産の取り扱いを義務付ける条例があってもいいですね。
本社が県外にある小売業にはA%の地元産の取り扱いを義務付ける、東北以外にある場合はB%、外国にある場合はC%とうように。
この場合、当然A<B<C。
市で考える場合でも、市外 < 県外 < 東北以外 < 外国 というように。
“カネのない”地方の安定は、このような手法でしか手に入れることができないのではないでしょうか。
(2005年2月20日)