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魚菜王国いわて

知的所有権




新聞・雑誌の著作権について
ディズニーの著作権意識に対する疑い
著作権の運命
ファイル共有ソフト「Winny」は幇助罪にあたるか?
技術競争物語
遺伝子工学の知的所有権は人でなし?
クリエイティブコモンズ

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新聞・雑誌の著作権について

著作権を広辞苑で調べると

「知的財産権のひとつ。
著作者がその著作物を独占的に利用し得る権利。
その種類は著作物の複製・上演・演奏・放送・口述・展示・翻訳、映画の上映などを含み、著作者の死後一定期間存続する。」

とあります。

国語辞典だけではわからないので、ネット上で検索してみたら、「社団法人 著作権情報センター」のページ

http://www.cric.or.jp/index.html

があり、ここで触れているのは、「著作権Q&Aシリーズ」の「はじめての著作権講座」です。
詳しく知りたい方は、そちらを参照してください。

新聞・雑誌は、編集著作物に分類されていて、法人著作となるのでしょう。
著作者の権利は、著作者人格権と著作権(財産権)の2つに分かれています。
Webサイト転載は、この著作権(財産権)の中の公衆送信権・伝達権に関わります。

「公衆送信権・伝達権」
「著作物を自動公衆送信したり、放送したり、有線放 送したり、また、それらの公衆送信された著作物を受信装置を使って公に伝達する権利。」

著作物利用の判断は
1、日本で保護されているものかどうか?
2、保護期間内のものかどうか?
3、自由に使える場合かどうか?
にかかっていて、
1で保護されていなければ利用可。
1で保護されていて、2の保護期間外であれば利用可。
1で保護されていて、2の保護期間内で、3の自由に使える場合に利用可。
ここで自由に使えない場合に著作権者を調べて利用許諾を得て、利用可となります。

2の保護期間は一般に50年です。
3についてですが、著作権法で、一定の場合に、著作権を制限して著作物を自由に利用することができることになっています(定められた条件で自由利用)。
これには項目がたくさんあって、本HPでの転載・引用に関してだけ取り上げれば2つあると思われ、

「引用」
「自分の著作物に引用の目的上正当な範囲内で他人の著作物を引用して利用することができる。」

「時事問題の論説の転載など」
「新聞、雑誌に掲載された時事問題に関する論説は、転載禁止の表示が なければ、ほかの新聞、雑誌に掲載したり、放送したりできる。」

で、この条件を満たさなければ、利用許諾を得て、はじめて著作物を利用できるわけです。

新聞では「転載禁止」の字は、まず見ません(見つけたら教えてください)。
雑誌では見受けますが。
法律的なことは、ここまでにします。

新聞社のWebサイトでは「1997.11 ネットワーク上の著作権に関する協会見解」にリンクを張っています。

http://www.pressnet.or.jp/info/kenk19971100.htm

これは、新聞社の都合のいい見解だと私は思います。
さまざまな事実は新聞で報道されますが、ここで編集報道されたものにすべて著作権を主張されたならば、社会で起こった事実を、私たちはWebサイトで言及できなくなってしまうのではないでしょうか?
表現を変えてWebサイトに掲載することもできますが、はっきり言ってこれは卑怯なやり方だと思います。
個人のWebサイトの場合、新聞・雑誌・研究者やジャーナリストの著作物を読んで、言及する機会のほうがほとんどなはず。
同じものを、表現方法を変えたり、少し自分の考えを付け加えたりして、自分の著作物とするよりは、はっきり引用を示して転載し、そこで自分はこう思うとか、いろいろ書いたほうがずっと正当だと思います。
はっきりと引用を示せば、ページを見て興味を持った方は、それをたどることもできます。

新聞は、まず即時性が命で、昨日の新聞、その前の新聞と日がさかのぼるにしたがって忘れ去られ、捨てられます。
新聞のバックナンバーの販売なども聞いたことがありません。
私は、読者のためになるものを転載してきました。
これは、私が削除しない限り残ります。
新聞は先ほど言いましたように、捨てられたら、もう一度読みたくても読むことはできません。

新聞社がなぜWebサイトを開いて、新聞記事をWebサイトに転載するのか、私は不思議に思います。
新聞社は新聞を作り、売って成り立っています。
つまり、編集著作物を作り売っているわけです。
Webサイトの内容が新聞掲載物と同じなら、無料で、ネット利用者に著作物を見せていることになります。
私はこれをおかしな現象だと思いますが。
そこでなぜあのような「1997.11 ネットワーク上の著作権に関する協会見解」を出したかも不思議に思います。
新聞・雑誌メディアは、権力のチェック機関で、私たち一般の人間にさまざまな情報を知らせる義務があります。
情報の共有は、インターネットの使命でもあります(と私は思っています)から、編集著作物を主張して情報を独占しようとする新聞協会の見解は、ネット上では、好ましいものとは言えません。

実は、このWebサイトも著作物の一つになるわけですが、私は著作権などは一切放棄します(笑)。
自由に転載し、また、提言なさって結構です。
なお、引用部分を再引用する場合は、必ずそのクレジットを入れてください。

こんな低レベルのWebサイトを転載する人がいるとは思いませんけど。
(2002年5月19日)

補足説明
この著作権についてですが、田中宇の国際ニュース解説http://www.tanakanews.com/source.htmの「著作権について」で、明確に書いています。
参考にしてください。
(2003年12月6日)



ディズニーの著作権意識に対する疑い

宮崎駿さんの「千と千尋の神隠し」、がアメリカで何か賞をもらいました。
で、報道によれば、ディズニーの「白雪姫」に匹敵するとのこと。
日本向けのリップサービスだと私は思いますが。

今日は、そのディズニー批判を少し。
ちょっと前に大岡哲さんの「日本経済を考えるヒント」を紹介しました。
買って読んだ方はご存知だと思いますが、手塚治虫さんの「ジャングル大帝」の記述部分に、アメリカの著作権意識に対する疑問を私は感じました。
長文引用です。
大岡さん、お許しください。

ディズニー・アニメの「ライオン・キング」が、日米でミュージカルとなって好評ロングランである。この「ライオン・キング」は、1994年にウォルト・ディズニー社が5,500万ドルで製作、アニメ映画として世界的に空前の大ヒット。アメリカ国内の劇場収入3億1,300万ドル、米国外で4億5,400万ドル、ビデオが5億2,000万ドル、ライオン・キングのぬいぐるみなど「ライオン・キング・グッズ」が、なんと30億ドル、これだけでもおおよそ5,000億円の収入。さらにエルトン・ジョンの美しいサウンド・トラックは1,100万本売れたと報じられてたのを数年前に読んだことがある。なんと50億円あまりのコストで製作したものが、その100倍以上の大儲けということになる。
私も「ライオン・キング」が封切りされてすぐ、わが家の小学生にせがまれて家族と一緒にサンフランシスコ郊外の自宅の近所の映画館に出かけた経験がある。ポップコーンを食べながら観ていたが、「どこかで観たような、よくある筋立てだなあ」と感じた。小さい子供のライオンが家族を亡くし。意地悪を受け、苦労しながらも立派な王者となっていく話だ。たぶん、イソップ童話のような普遍的な物語を下敷きにしているのかとも考えた。しかし、思いおこせば、「鉄腕アトム」で有名な手塚治虫の「ジャングル大帝」にそっくり。手塚治虫ファンである子供たちは、「ライオン・キング」に感動する一方、「ジャングル大帝」とストーリーが同じようだと感想をもらした。家内も「ライオン・キング」はよくできているが、「ジャングル大帝」を真似したか、少なくとも強い影響を受けていると分析した。他方、手塚作品に今一つなじみのない一般のアメリカ人家族は、新鮮で素晴らしい作品として絶賛していた。
しかしながら、当然、日米でその類似性から「ライオン・キング」の独創性に疑問が呈された。アメリカでも日本のアニメに詳しい人は、一様に「これは剽窃したのではないか」と指摘し、日本サイドからも抗議の声が挙がった。だが、ディズニー側は、当然こうした見方を否定。弁護士団を組織してこれに対応した。一方、わが国では、手塚治虫の遺族まで巻き込んで、非難抗議の動きが高まった。しかし、結末は「手塚治虫もウォルト・ディズニーを尊敬し、ディズニー・アニメにあこがれ、これに追いつくようにとがんばってきた。もし、ディズニーにアイデアを盗まれて、真似をされてしまったとしても、これは光栄なことと考える」という手塚治虫の遺族サイドからの見解から、この問題は急速に収まってしまった。
(「日本経済を考えるヒント」p122)

大岡さんは日米の考えの違いを書くにあたって、これを題材に無形物に対する権利意識の違いも論じています。
権利意識の強いアメリカで、鈍感な日本人を相手に無理やり主張を通すなど、ちょっと著作権を主張する資格を疑います。
はっきりするのがアメリカだと思ってましたが、この著作権の分野でもアメリカを見損ないました。
やはり、すべてはカネのため、でしょうか。
もし、「ジャングル大帝」がアメリカでメジャーであったなら、恐らくは「ライオン・キング」は、世の中に出ていなかったに違いありません。

とまあ、ここまでは硬化した話ですが、実際に「ライオン・キング」を見てみると、ストーリーに飲み込まれて、著作権など、どうでもいいような気持ちになります。
アニメの背景は人間が全くでないことを除けば、「ジャングル大帝」を同じで、主人公のシンバはレオと同じ設定で、王国を守るわけです。
ストーリーもT、Uとも、いい出来ばえはです。(Uもあるんです。Vがあるかどうかは知りません)
素直にディズニー側が手塚作品に影響されたと認めれば、何の問題もなく通るでしょう。
大岡さんに言われるとおり、日本人は著作権に対しては鈍感で、よく言えば、寛大です。
いつまでもディズニー側がこつぱれば(宮古弁)、製作にあたった人たちは後々、心の中で後悔するでしょう。
どうやっても歴史や事実は変えられませんから。

アニメファンは「な〜んだ、そんなの昔の話」と言われるでしょうが、そうでない人は「ライオン・キング」を見てみましょう!
(2003年3月26日)

加筆
大塚英志さんの「物語の体操」という本を読みましたが、その中で「ジャングル大帝」のことに触れていて、こちらとしても参ってしまいました。
引用します。

そう言えば何年か前、ディズニー映画『ライオン・キング』が手塚治の『ジャングル大帝』からの盗作ではないか、という声がまんが関係者の一部から上がったことがありました。しかしよく考えてみれば『ジャングル大帝』がディズニーアニメ『バンビ』の模倣というか借用というかそういった側面が少なからずあることは手塚治虫のファンにとって周知のことです。
(大塚英志著「物語の体操」p49)

安易にお詫びします(笑)。
私は門外漢のアホでした。
このような盗作疑惑になりそうな問題を、大塚さんは先ほどの引用文のすぐ後に、次のような記述をしています。

だからといってそれが手塚治虫の価値を下げるものでは少しもありません。むしろ手塚治虫とディズニーの間になされた「盗作」のキャッチボールはある意味では物を作るという行為の理想形とさえ言えます。無責任な言い方ですがディズニーアニメを模倣することで出発した手塚治虫にとってディズニーに「盗み返されること」は作家として本望だとさえ言えたはずです。そういえば大友克洋がかつて、まんがの世界で盗作だなんだと言い出したらまんが家は全員手塚治虫の盗作じゃないか、といった意味のことを言っていたのを目にした記憶がありますが、それは決して間違ってはいません。
(前掲書p50)

大塚英志さんは、文学を学問しています。
いや〜、文学って、副島隆彦さんは、かなりバカ扱いしていますが、この「物語の体操」を読んで、「10へぇ〜」でした。
またまた引用します。

物語を抽象化していくと表面上の違いが消滅して「同じ」になってしまう水準があり、それを「物語の構造」と呼ぶ、ということだけを覚えてくれれば今は充分です。
(前掲書p60)

「物語の構造」には、実は一定の法則があるのだと。
その法則性をいろいろの他の文献から引用し、説明しています。
そして、その法則とは、大塚さんいわく「行きし帰りし物語」、つまり、抽象的に行って帰って、という行動において、主人公が「成長」する、という構造が大多数を占める、ということのようです。
いろいろなストーリーを当てはめてみると、確かに多いですね。
これでは簡単に「盗作だ!」なんて言えなくなってしまいます。
この加筆からは、話が横道に行ってしまいますが、せっかくですから高橋源一郎さんの解説の一部分を引用しておきます。
カッコイイので(笑)。

もっとも簡易で、かつ原始的な「物語」とは、子どもが大人になる「物語」、成長する「物語」だ。もっというなら、どこかに「行って帰る」ことによって主人公が変化する「物語」だ。それ以上の「物語」を、人間は発明しなかった。作り出す必要がなかった。いまと違う自分がありうることだけが、人に生きうることの可能を教えるのである。その意味で、その意味だけ、「小説」や「文学」に意味があるのだ、とぼくは考える。
(前掲書p229)
(2004年4月28日)



著作権の運命

著作物氾濫で、著作活動が不自由になる?
先日、飲み屋のママと珍しく意見が合い(それほどいつも反対のことをお互い言っている?)、どんな意見かというと、歌を作る場合、後に作る人は損だってことです。
みなさん、そう思いません?
だって、時代が進むにつれて、曲はたくさん増えるわけだし、違うメロディを探すのが大変になるでしょうに。
ちょっとでも似ていれば、パクリだって指摘は来ますし、これは小説とかの文学もそうなりますね。
また、映画も、パロディ以外は大変!
ドラマなんかも、ごく最近では、あのNHK大河ドラマ「武蔵」で、「七人の侍」のパクリが一部あったらしく、ドラマ全体までが訴えられる始末。
「武蔵」側がパクリを認めたんだから、何も訴えるまでしなくてもいいのに!
こんなパクリ疑惑はたくさんありますね。
だから、最近は歌にしろ、ドラマにしろ、映画にしろ、リメイクが大流行。
この著作権の保護期間は、著作者の死後50年とされていて、今の状態じゃ、50年は長すぎる気がします。
著作者のみなさんは、そりゃ大変ですよね。
頭ん中のイメージなんて、過去のどれに影響を受けたかなんてことまでは、記憶していないでしょうし、しっかり記憶していれば、パクリなんてないでしょうから(故意を除いて)。

そこで、一つ。
作曲での悩み解消法。
今やパソコンのCPUのクロック周波数は2ギガを超えていて、ハードディスク容量は増設すれば、100ギガは超えます(たぶん)。
これらに、過去の曲の基本的なフレーズを全部入れておいて、それを除外した曲を無数にパソコンに作らせるんです。
どうせパソコンが作る曲なんて、ただ音が並んでいるだけでしょうから、それを片っ端から聞いて使えそうなのをピックアップしていきます。
それをさらに合成すれば、あ〜ら簡単できあがり。
というふうにはいかないでしょうね、きっと。
でも、パソコンの作った音を聞いていて、ヒントがかなりでるんじゃないかなあ、なあ〜んて、簡単に私は考えてしまいます。
確か、小室哲也が渡辺美里の「Long Night」(←知っている人いないかも?)をコンピュータに作曲させたとかいう嘘っぽい話(真偽は知りません)を聞いたことがありますが。

著作権の主張のし過ぎで、啓蒙活動が不自由になる?
ちょっとはずれましたが、とにかく後回った人は大変です。
小見出しに啓蒙活動と書きましたが、一応このサイトも啓蒙活動のヒントとなる(?)サイトと位置づけてやってますから(トップページにその主旨を書いてます)、この問題は非常に大変なものです。
私は、現行の著作権に関する法律に、少なからず違反している、と思います。
あれこれ難癖をつけながらですが。
でも、ある程度違反しないと、物事を説明する時に例示することができず、またそれらの具体的な引用により、信用度が増すと思うんです。
ですから、著作権の法律をあまりガチガチに運用すると、ネット上の啓蒙活動は不自由さを増します。
以上の記述から、著作権の主張のし過ぎもどうかな?ってことになります。

何度も書きますが、ちょっとだけ表現を変えてコピーし、自分の著作物とするよりは、完璧にコピーし、誰のオリジナルか、ということをはっきり明示したほうが、原作者の利益になると思います。
ちょっとだけ表現を変えて自分のものにするのは、卑怯です。

物理的にコピー制限は無理
DVDコピーのおもしろい話
アメリカではDVDソフトのコピーのことで、裁判が起こっています。
ここで、早速、記事を一部引用します。

まず、米映画業界・映画配給大手7社が、DVDコピーツール「DVD copy Plus」及び「DVD X copy」を販売している321Studios社を、同ツールが“デジタルミレニアム著作権法(DMCA)違反”にあたるとしてサンフランシスコ連邦地裁に訴えをおこしました。
これらのツールは1998年、米国議会図書館(LOC)より321Studios社は連邦裁判所に異議申し立てる方針を明らかにし、今後も「DVD copy Plus」「DVD X copy」の販売を続けると明言しました。つまり、米映画業界と映画配給大手7社の訴訟はこれに対する報復措置ともいえるのです。
DMCAはプロテクト除去を禁止する法律ですが、この法律は米国議会図書館によって3年に1度、例外規定の見直しを行うことになっています。もちろん、321Studios社の創設者兼社長ロバート・ムーア氏は黙っていません。
「著作権局は根本的な間違いを2つ犯している。DVDはソフトであるということを認識していない点。そして、米国民は自分の金で購入したDVDソフトをバックアップする権利を持っているということを認識していいない点だ。我々は当社の製品を求め、必要としている数百万の米国民のために、この裁定に抗議する。当社は、DMCAは公正使用、および米国憲法修正第一条ですべての米国民に対して保証されている権利を踏みにじるものであり、LOCによるDNCAの解釈は、恣意的で理不尽だと考えている」
そして、ムーア氏は同社の製品は合法であり、その顧客は著作権侵害の罪には問われないと改めて主張したのです。
なお、ハイテク市民権団体の電子フロンティア財団などもムーア氏の意見に賛同しており、世論は二分されています。日本より一歩も二歩も進んだアメリカでさえ、未だ略式命令すら下りない状態が続き、事態は混迷の度合いを深めているわけです。
(「ラジオライフ」2004年3月号p93)

ということで、DVDソフトをバックアップする権利というのがあるんだそうです。
確かにパソコンのデータなんかは、特にフリーズ警報出っぱなしのWindowsではパックアップは必須事項ですが、一般の映画ソフトや音楽ソフトは、どうなのかはちょっとわかりませんよね。
DVDが出る前はビデオテープだったんですが、映画テープ、例えば「タイタニック」のビデオを買ったとして、それをバックアップする人がいたでしょうか?
ソフトバックアップ権利は、感覚的に苦しい気がします。
この後も両陣営の戦いは続いているようです。

さて、今度はアダルトの話題。
裏ビデオ情報で〜す。
今日は思いきりくだけていますよね。
先ほどのDVDソフトのコピーの関連でして、過去海賊版天国といえば東南アジアだったんですが、それが今や、日本のアダルト業界が海賊版天国となっている模様です。
どうでもいい人は、ハイ!さようなら。
それでは、「オマエはすでに死んでいる」(「北斗の拳」)と3ヶ月後には言われそうな「噂の真相」からの引用です。

新年を迎え、ふと思うところがあって1年前に出たAV専門誌の裏ビデオ紹介ページをめくってみると、やはりそうだった。「逆輸入盤」と呼ばれる海外のインターネットサイトから販売されているDVDの勢力がこの1年の間に爆発的に増大、日本のAV専門誌の裏ビデオページは、すっかり外国製といってもそのほとんどがアメリカ製で、言うまでもなく日本人AV嬢が出演する日本人の視聴用DVD。もちろん無修正ポルノである。
1年前はまだ、国内産の裏ビデオもある程度の勢力を保っていた。しかし最近、有名AV女優の無修正作品が連続リリースされるなど話題性も大きく、勢いの強さが感じられる。及川奈央、渡瀬晶などビデ倫系単体作品の主演女優の無修正DVDが正規商品として発売されることなど、これまでは考えられなかったことだ。
もしかするとこの「逆輸入盤ポルノDVD」は、近年の日本市場における最も成功したアメリカ製商品のひとつに数えられるのではないか。なにしろ現在進行形で国産品を駆逐しつつ市場を拡大しているのだから。しかも日本国内では非合法商品であるにもかかわらず・・・否、非合法で日本人には作れないから、それだけ市場が成長したという事情があるわけだが・・・。
AV専門誌の裏ビデオ紹介ページは、そのまま全国の盛り場の裏ビデオ販売店におけるガイドブックの役割を担っているから、実は「逆輸入盤」の大攻勢はそのまま裏ビデオ販売店の品揃えに反映されている。つまり日本の裏ビデオ屋の商品のほとんどはアメリカ製品に乗っ取られてしまったということである。歌舞伎町の裏ビデオ屋を覗いてみよ、棚に並んでいるのは英語タイトルの商品ばかりだから。しかし、そこで売られる実商品は、ほぼ全てがコピー商品、すなわち海賊版だ。あるメーカーのDVDでは、FBIの著作権保護に関する英文テロップのあとに、日本語で正規品とコピー品の見分け方についての注意がやかましいぐらい流される。たまにメジャーの映画会社・音楽会社が中国で海賊版メーカーを告発、大規模な手入れがあったというニュースを目にするが、それは決して対岸の火事ではなく、ポルノ商品に関して言えば日本は立派な海賊版天国であり、著作権意識の低いアジアの発展途上国のひとつなのである。
(「噂の真相」2004年2月号p113「新世紀猥物史観」)

東京でこれを見ている人はいいですよね。
すぐに裏ビデオ屋さんに行ってください!(笑)。

いろんなプロテクトをソフトにかけても、結局は全部プロテクトをはずされてますから、著作物のデジタル化は、著作権のコピーを容認していることになってしまいます。
だって、物理的に可能で、普通の人なら、可能なものはやりますよ!
前にも書いたとおり、パソコンの「コピー」「貼り付け」なんかの機能は、コピーするなっていうのなら、最初から付けなきゃいいし、訴えるなら、先ほどのDVDバックアップソフト会社と同じように、マイクロソフトを訴えるべきです。
頭のいい欧米人たち、そしてそのモドキたちは、著作権意識が低い、低い、って、アジア人をよくバカにしますが、そんなに頭がいいんなら、物理的にコピーできないようにすればいいんです。
法律ばかりに頼って著作権を保護しようとする人たちは、まるで子供みたいで幼稚です。
法の網をかぶせようとすれば、地下の潜ろうとするのは自然のなりゆき。
このままでは、アジアの低レベルな人たちのコピー技術(法の網を逃れる技術も含む)によって、著作権保護を謳う頭のいい欧米人たちはきっと負けます。

著作権は、著作物の氾濫とデジタル化によって、有名無実化する可能性大です。
(2004年2月26日)



ファイル共有ソフト「Winny」は幇助罪にあたるか?

5月10日に、東京大学大学院助手がファイル共有ソフト「Winny」を開発したために逮捕されました。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0405/10/news008.html

Winnyについて全くわからない人は、こちらのリンクも参照してください。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0405/10/news028.html

ファイル共有ソフトの存在は知っていましたし、そのソフトのCDもありますが、興味がなかったので私は使ってみませんでした。
パソコンをやり始めた頃は、いろいろなソフトを試したりして、マシンを酷使したものですが、ハードやソフトの性能に興味を私が失い始めた頃に、このWinnyが出回り始めました。
いろんなファイルを共有できるらしく、音楽ファイルからエロ動画まで、勝手にファイルが増えていくんだそうです。
興味ある方は今からでもお試しあれ。

最初に、ラジオライフに掲載されたWinny作者逮捕劇に異議アリをご覧ください。
「幇助」がWinny開発者に適用されるならば、記事のように、「クルマ」がスピード違反の幇助をしていることになります。
いや、クルマの開発者がスピード違反の幇助をしていることになります。
しかし、自動車会社の開発者が、この罪に問われたことはありません。
いくらコピーするなと制限しても、コピーは物理的に自由です」と私はヤリ玉にあげたことがありますが、「Word」ソフトのコピーの幇助をしているのは、マイクロソフトなどのソフト開発者であるとも言えます。
こんなことを挙げたら、世の中キリがありません。
問題はユーザー側にあるわけで、音楽コピーだって、ちゃんとコピーに関する但し書きが書いてあって、ユーザーに注意を促しています。
え〜と。
「このCDは一定期間貸与非許諾商品ですが、この期間経過後も権利者の許諾なく賃貸業に使用すること、個人的な範囲を超える使用目的で複製すること、ネットワーク等を通じてCDに収録されて音を送信できる状態にすることを禁じています。」(CDケースの裏に書いてある)

あ、そうだ、タバコ、タバコ!
コピーとは違いますが、あれだって、タバコ会社は幇助なんて問われません。
タバコを吸って病気になって死んだって、全部、本人の責任でしょ(アメリカでは他人のせいになっていますが、ありゃおかしい!自由の国アメリカとはすでに名ばかり)。
あんなものでいちいち幇助が問われたら、タバコ農家も全部幇助罪で逮捕ですよ。

ラジオライフの記事の通り、京都府警の遺恨の逮捕であると言えるでしょう。
これらの似た権力は、恨みの持ち方も同じようで、過去に「噂の真相」の刑事告訴がありますね。

金曜日(2日)の岩手日報夕刊3面で、このWinny開発者のことが書いてあり、ソニーのことを取り上げたところはいいのですが、このキンタマウィルスに関する京都府警の顛末に触れずに、著作権保護の名の下の規制ばかり書いているので、これをアップロードしてしまいました。
Winny作者逮捕劇に異議アリという記事が掲載されたラジオライフは、発売されてからまだ10日しか経ってませんから、転載するにはいくら何でもちょっと早いんですが。
せめて1ヶ月経ってからじゃないと。
どうしようもありませんね。
ごめんなさい。

このように、コピーといつも対決する著作権や著作者の保護が問題になり、それゆえ、事件となり逮捕者がでるわけです。
今日は著作権よりもコピーの方を応援します(いつもしてますが)。

コピーできてしまうものをコピーするな、って言うほうがどうかしていますよ。
そもそも音楽や映画などは、もともとはアナログで作られたものです。
音楽で例えますが、最初はレコードでした。
それをコピーするにはカセットテープでしたから、音質の劣化がものすごく激しかったわけです。
ところが、CDというメディアの出現で、事態は変わります。
CDのコピーは完璧ですから、その時点でCDに載せる著作者は、コピーされるのを自覚していたと、私は思います。
自覚していたのなら、著作権がどうのこうのと言う資格はありません。
自覚していなかったなら、バカです。
それにコピーできなかったら、たくさんのCDを販売できないじゃないですか。
しかも、CDはレコードに比べると、非常にコピーも簡単で、今や安価。
こんな便利なものは、誰もが利用しますよ。
便利なコピー機を利用して、CDメーカーやアーティスト(著作者)も儲けているわけです。
ここで提言します。

その儲けたカネでコピーできない技術を開発してください!

ちょっと電子ブックについて。
将来は電子ペーパーにダウンロードして読むという時代が来るかもしれませんが、今のところ、電子ブックはCD−ROMです。
これもコピーできますから、むしろ著作者はこんなものは使わないほうがいい。
実際に、電子ブックのCD−ROMは、マニュアルとか、そんな用途でしか、使われていないと思います。
今の作家は、手書きという人はほとんどいないでしょうから、出版社に送る原稿はデジタル化されています。
それなのに簡単なCDを使わないで、わざわざ本にしてアナログ出版しているわけです。
これは、著作者自らが著作権を保護している、自衛している、と言える例です。

このことを私は音楽関係者や映画関係者にも言いたい。
音楽もレコードに戻ったほうがいいんじゃないですか?
レコードからCDにコピーしても音質は劣化しますから。
映画もDVDはやめて、再びビデオテープだけにするとか。
でも、少しぐらいの劣化なら許せるって(私みたいな大雑把な)人もたくさんいるでしょうから、それじゃ、音楽はコンサートだけで演奏し、映画は映画館だけで上映することにすれば、完璧にコピーは難しくなります。
それじゃ、「儲けが少ないだろう」と言われるかもしれませんが、ここに一つの教訓ができました。

「便利なものを利用して商売するということは、著作権を失うリスクが伴う」ということです。
(2004年7月5日)



技術競争物語

物語
アメリカで空中移動バイクが開発された。
自由に空中を移動でき、庭先に着地できる優れた乗り物である。
一方、日本は、まだちょんまげを結っていて、刀を振り回している時代である。
アメリカからゲイツという提督が日本にやってきて、開国をせまり、圧倒的な軍事力を前に、日本はアメリカに服従する。
のび太という人がアメリカにわたり、空中バイクを勉強する。
アメリカ人は日本人がまだまだバカだということで、その技術をタダで、のび太に教えてくれた。
のび太は帰国し、1年で空中バイクを製品化した。
しかし、日本にはほとんど市場がなく、年に10台ぐらいしか売れない。
一方、アメリカは空中バイク天国。
アメリカ人は「日本なんてバカの国だから、無視してよい」なんて当時思っていた。
10年経ち、日本メーカーのあらゆる技術がどんどん進歩し、世界中から注目を浴びるようになるが、クレームもかなりあった。

「日本人をいじめてやれ」。

日本は世界中からいじめられ、しかしそれにもめげず、真面目にクレームに対応し、壊れない性能の良い製品をどんどん開発していった。
のび太は、空中バイクにGPS装置と3次元レーダーをつけ、自動操縦装置を開発し、売り出した。
目的地をインプットするだけで、障害物を避けて勝手に飛んでいってくれるのである。
これをアメリカへ輸出したら爆発的に売れ、日米貿易摩擦を生んでしまった。
「油断していたら、日本のサルたちは意外に頭がいいようだ。これは何とかしないといけない」と考えたアメリカは、著作権や特許などの知的所有権を主張するようになり、多額な特許使用料を請求するようになる。

以上は、テキトーに私が作った架空の物語です。

日本の生産技術が世界一になった理由
想像ですが、日本の製品は、このようにして、世界のトップになったのだと私は思います。
技術というのは開発だけではダメで、売れる製品を作ってこそ、評価されるものです。
ゆえに、技術競争は、消費者のクレームやニーズに真面目に対処することが肝心である、と言えるでしょう。
このクレームに政府の規制も含めるとすれば、例えば、自動車の排ガス規制などで、メーカーはそれに対処しようとします。
私たちにとっては、これが当たり前だと思うんですが、「自動車排気ガスが大好き!」でも書きましたように、アメリカでは、この規制をどうやって回避するか、のほうに重点を置き、その分、日本との技術競争に遅れを取るわけです。
抜け道だらけの規制は、結局、技術競争に敗れる原因を作ります。

そして、問題の特許などを含む知的所有権ですが、技術競争で欧米の人たちが日本や他のアジアの国々にかなわなくなったらなったから、主張するようになったんじゃないかなあ、と思うんですよ。
で、この知的所有権にあぐらをかいてばかりいるメーカーは、製品としての開発能力が落ちてくるんじゃないでしょうか。
製品は売れなければ、話になりません。
日本はコピーばかりして自分で発明とか発見をしない、とか良く言われますが、そんなことはないと思います。
製品化の過程で、いろんな特許を取得してしまうほど、研究するんだそうですから。
「製品が売れる」ということは、「非情な“市場原理”が働いている」ということで、そこに知的所有権が入る余地は、厳密にはないんじゃないでしょうか(と思います)。
アメリカのメーカーは、この自然な市場原理よりも、人為的な規制の抜け道や対外的な規則での保護に頼ったために、日本のメーカーに技術力で敗れたのだと私は思います。

コピーは製品を進化させる
ここで、知的所有権が主張される以前のコピーの話が、前に紹介した「Linux狂騒曲第3番」という本の中にありました。
中世の陶磁器の文化は、東洋から西洋へとコピーされた歴史があります。
陶磁器以外にもあるようですが、とにかくコピーは各地の市場の要求に対して堂々と行われ、互いに良いところをコピーし合って、製品の性能、デザインなどが進化したのでしょう。
このことで、もっともな指摘を引用します。

政治力や軍事力を背景に強引に進めたかどうかは知りませんが、社会的に権利を確立した欧米のブランド品は、自分こそ本物と名乗り、コピー品は悪質なコピーだといって官憲に摘発させることができます。一方、そういう権利が確立してなかった時代にコピーされた東洋の陶磁器は、ヨーロッパの陶磁器をコピーとして摘発できないんです。変といえば変でしょ。
ヨーロッパの陶磁器は、景徳鎮、柿右衛門、古伊万里など、東洋の陶磁器をコピーしまくったものであることは、先の展示にあるように歴史的に明らかなのに、あっちは許されて、ヴィトンなどのプランド品のコピーは許されない。なぜ?って思ったのです。東洋にやってきたイエズス会の宣教師なんて、陶磁器の秘密を盗む産業スパイとしても活躍したという説もあるんですから。
近代の諸権利は欧米が確立してきたから、権利や制度の運用は彼らに都合よくできているわけで、自分らに都合の悪いところはお目こぼしをして、ヨーロッパの陶磁器はセーフ扱いにしたんじゃないか。本物か偽物か、オリジナルかコピーか、あるいはそれを強引にでも社会的に認知させられるかどうかだけの話なんだろうなあと、感じ入ったのです。
(「Linux狂騒曲第3番」p36)

どうしてLinuxの本にこんな陶磁器の話なんかが出てくるか不思議だと思われるかもしれませんが、それはLinuxがコピーして再配布してもいいよ、っていうOSだからです(前にも書いた)。
結局、良い部分だけコピーし合って製品をどんどん高めていけば、その利益はユーザー側にも分配されることなり、ひいては社会全体へと行き渡ることになります。

コピー淘汰
セルフィッシュ・ジーン」でミームについて触れましたが、良い文化はどんどんコピーされて生き残り、悪い文化は捨てられる、という世の自然の掟に従えば、そもそも「コピー=悪」ではない、と思ったりします。
コピー制限に対しては、先ほどの引用文のほうが事実なんじゃないかなあ、と私は思うんですが、次のように“良く”解釈してみることにします。

技術開発には、おカネもかかるし時間もかかりますから、ある程度、その還元がないと話になりません。
そこに特許などの知的所有権が必要になった。
ここで、極端な知的所有権の主張は、「絶対にコピーするな」ということになります。
そうなると、先ほど書いたコピーによる進化の妨げが出てきて、社会的に損害を被ることになります。
そこで“ある程度”はコピーも認めて、お互いに製品開発していこう、ということで、そこに特許使用料(ライセンス料?)というおカネで解決を図ったのが、現在の知的所有権の考えなのでしょう。

日本の企業がアメリカの技術からコピーばかりして儲けている、という話もよく聞きますが、仮にそうだとしても、それなりにライセンス料を払っているのでしょう。
それにもかかわらず、日本の製品は安く、性能がよく、壊れにくい。
これじゃ逆に、アメリカの工場は何をやっているのか、ってことになります。
アメリカ人は頭がいいんだ、と言っている傍ら、まるで消費者を馬鹿にしているとも言えます。
ここでも、消費者のクレームに真面目に取り組んだ日本との差が、歴然と見えてきます。
いくら優れた“ような”技術でも、製品化され売れて利益に結びつかないとダメ。
話にならない。
この辺は、ホントに厳しい市場原理がありますから、「優れたような技術」よりも、「売れる製品」のほうが“清く正しく美しい”わけです(笑)。
すなわち、売れる製品とは、ものすごくコピー淘汰されているのです。
これが完全にコピーフリーとなったら、コピー淘汰はもっとすごいでしょうね、きっと。

それにしても、日本の製品は良く売れます。
だから、巨額のアメリカの対日貿易赤字は巨額なのです。
アメリカはそれがおもしろくなくて、いろいろ無理難題を日本に押し付けてきますから、結局、そのような分野で敗れたことを暗に認めているわけです。
副島隆彦さんの「属国日本論」流に言えば、技術競争に勝っても政治で一気に全部いいように取り返されるから、日本はアメリカの属国なんです。
ということで、文化低国ニッポン(確か佐高信さんが言っていた)というより、政治低国ニッポン、と私は言っておきます。
(2004年7月7日)



遺伝子工学の知的所有権は人でなし?

前回紹介したように、GMO作物は、ほとんどが除草剤耐性と病害虫抵抗性を目的として作られます。
除草剤耐性作物は、その作物が除草剤に耐性がありますから、その分、除草剤をたくさん散布できてしまうわけで、その行為によって、目的外の雑草に耐性が生まれてしまいます。
これだと、再び別の除草剤耐性GMO作物を開発しなければなりません。
これの繰り返しで、耐性との終わりのない闘いが永久に続きます。
病害虫も耐性を持ちますから、病害虫抵抗性の作物も同じ構造です。
これじゃ、農民はGMOを支配するアグリビジネスに永遠に生き血を吸われることになります。

農民は有機農法という農業に目覚め、世界中が取り組み始めています。
いろいろな危険性のあるGMO作物より、在来種作物を有機農法で作るほうが、アグリビジネス以外の地球上の人間のとって、ものすごくいいに決まっています。
植物の種子は、簡単に空間移動できます。
これを否定している企業もいますが、よく考えれば、太古の昔からさまざまな形で、植物の植生は移動しています。
いったんGMO種子が地球上にばら蒔かれれば、その隔離は不可能に近い。
ということは、GMOに関する知的所有権を主張する側は、閉鎖された空間で育てなければならないことは、常識とすべきでしょう。
植物の性質上、この知的所有権は「閉鎖された空間」でのみ、主張できるのではないでしょうか。

もう一つの見方。
知的所有権というのは、その知的財産がコピーされ社会全体にばら撒かれれば、社会全体が得をする性質があると思うんです。
どんどんコピーされ、その対象の性能よくなっていきます(「技術競争物語」を参照)。
ところがことGMOに関しては、どんどんコピーされればされるほど、耐性のいたちごっこが永遠に続き、社会全体が被害を被る。
こんな知的所有権は他にないんじゃないでしょうか。

セルフィッシュ・ジーン」の影響が私にはものすごくあって、遺伝子工学の遺伝子操作について、考え込んでしまいます。
そもそも生物の進化はコピーミスの淘汰にあるわけで、それを人為的にコピーミスさせることが遺伝子工学なわけです。
進化におけるコピーミスは、ものすごく長い時間がかかっています。
そして、ゆっくりとあらゆるものが淘汰されてきて、現在に至っているのです。
一方、人為的な遺伝子操作は、非常に短い時間で行われているのであり、地球上の進化に比べれば、ほんの一瞬のことです。
問題は、この一瞬の時間に、他の細胞、ひいては生物本体が影響を受け、淘汰されてしまうことにあります。
遺伝子工学の世界で、短時間にたくさん遺伝子をコピーミスさせれば、それによる影響も短時間のうちに起こります。
この一瞬のうちに起こるコピーミスに対し、コピーミスしていない生物、動物、そして人間が対応できるものなのでしょうか?
このように、コピーミスの淘汰が長い時間かけて行われたことを考えれば、「遺伝子操作は神の領域を侵すもの」という言葉が、なんとなく理解できたような気がします。

一方、医学界での遺伝子工学は、コピーミスを修正する分野なら歓迎してもいいのかもしれません。
その代わり、ヒトの遺伝子を管理するわけですから、あまり厳格に管理されれば、進化はしなくなります(笑)。
中には進化させるため、コピーミスを乱発させる研究者も出てくるかも?
こう考えると恐ろしくなってしまい、やはりこれも「神の領域を侵すもの」になってしまします。

遺伝子治療は、知的所有権の主張のしすぎのために、研究が進まないという弊害が起きています。
これは前に書いた「コピー淘汰」と同じ現象で、お互い足の引っ張り合いをして、社会全体でみれば損をしていることになるわけです。
また、遺伝子工学もビジネスの世界と深い関わりがあるので、カネのない第三世界などで、治るべき病気も治らないということになってしまい、結局金持ちじゃないと治療できない、という現象が数年前から「地球白書」なんかで指摘されています。

遺伝子工学は、農業にしろ医業にしろ、研究者そして使用者、企業の倫理に問題があると言えますね。
遺伝子工学の分野の知的所有権というのは、まったくうまくいっていないようです。

前回紹介した「遺伝子組み換え情報室」は本当に素晴らしいサイトでして、知的所有権に関するページ「特許関係」のページも勉強になります。

「日本たばこ」よ!
くたばれ!

と言いたくなるようなことも書かれています。
また、「遺伝子組み換え食品いらない!キャンペーンニュース」のhttp://www.no-gmo.org/news/70/004.htmも参考になります。
こっちのほうが簡単に書いてあります。
(2004年7月16日)



クリエイティブコモンズ

「クリエイティブコモンズ」という言葉をご存知でしょうか?
私が愛読?するいつだったかの岩手日報夕刊で、クリエイティブコモンズを紹介していました。
掟破りの全文転載をしようかと思いましたが、その新聞をすでに紛失し、残念ながらできません(笑)。
毎度おなじみのGoogleで検索しますと、荒川靖弘さんのページ「クリエイティブ・コモンズ」についてがヒットし、その関連ページ「クリエイティブ・コモンズ」は誰のもの?もあわせてご覧になれば、良く理解できると思います。
要するに、これまで書いてきた従来の著作権に対する私の不満を、一挙に解決してしまう新しい著作権です。
例えば、「クリエイティブ・コモンズ」についてのページの下のほうに、次のように書いてあります。

本テキストは Creative Commons の 帰属(by)ライセンスの下で公開しています。すなわちオリジナルのテキストが私「荒川靖弘」によるものであることを明示していただければ,自由に再配布・再利用が可能です。
(「『クリエイティブ・コモンズ』について」本テキストの著作権について)

何となくリナックスのGPLライセンス(「著作権を否定してしまうLinux」参照)に似ていますね。
で、私のサイトは、クリエイティブコモンズのライセンスではどんなライセンスか?というと、saというライセンスです。
ところが、私はトップページで、「尚、当サイトに関する著作権は一切放棄します(笑)。引用部分を除き、すべてコピーしても差し支えありません。」としていて、最初の文言はクリアするとして、二つ目の「引用部分を除き」の部分は、どんなライセンスになるのか?というと、byとなります。
by-saというライセンスはありますが、私のような変なライセンスとなると、sa-byと表記するしかなく、これならば、最初からbyとしたほうがいいのです。

「クリエイティブ・コモンズ」は誰のもの?目次をクリックすればわかると思いますが、このページは「Hotwired Japan」の特集「日本の「クリエイティブ・コモンズ」の可能性 ── 創造的な著作物の共有地を広げよう」の中の草稿版のようです。
今日紹介したリンクを読めば、あらましは理解できると思います。

まあ、何にしろ、このような新しいライセンスはインターネットを考慮したものであり、少なくとも、Web上にあるすべてのサイトは、クリエイティブコモンズを宣言すべきではないでしょうか。
これは、各新聞社に向けて、特に、です。
新聞・雑誌の著作権」でも書きましたが、ネットインフラという公的インフラを利用している限り、あんな「ネットワーク上の著作権」など削除すべきです。
知識・情報の共有という、ネット上のお互いの利益のために。
(2005年2月5日)