たまに更新するつぶやき-公的年金
[PR]テレビ番組表
今夜の番組チェック

魚菜王国いわて

公的年金




年金制度の欠陥、再び
年金制度のあるべき姿
年金制度と自己責任

公的年金制度について

トップへ




年金制度の欠陥、再び

ちょっと前にHappyな、そして思い切りのいい若者のことを書きました(日記的つぶやき2002年12月21日)。
今日は、その家のおじいさんのことを書きます。
そこのおじいさんも非常に働き者で、朝から晩までしっかり働くそうです。
お昼に少し長めのお昼寝をして。
年寄りですから、それなりの休憩をとるのが良いのでしょう。

で、そのおじいさんは当然、年金受給年齢で年金をもらっています。
自営ですから国民年金です。
国民年金は発足当時、掛け金を全く払わなくても、該当した老人はすべて年金を小額ながら受給し始めました。
これは「現役世代が引退世代を助ける」という基本的な考えからそうしたものです。
このようなことがあったことを、今「年金が払ってももらえそうもないから払わない」という人に聞かせてやりたいですね。
年金とはそういうものだと。

その方々の年金額は、とても単独では生活できるものではありません。
私の他界したおばあちゃんもそうでした。
かわいそうなくらいでしたね。
より高齢の方の国民年金ほど安いはずです。(受給のしかたにもよりますが)
で、そのおじいさんの耳には、他のオカの人たちが、会社勤めの結果、高額年金を受給する話が入るわけです。
支払った額が多いのだから仕方ないとしても、厚生年金や先生のもらう年金(名称は知りません)は、国民年金と比較すれば話にならないくらい多いです。
そのおじいさんは「同じように生きてきて、年をとって同じように話したりして、どうしてこんなに違うのか?まじめにやってきたのがバカくさい」と言ったそうです。
かなり前の話です、これを聞いたのは。

一般に漁師は勉強しなくてもなれます。
根気さえあれば。
一時期、受験競争で敗れてあぶれた人が漁師になりました。
中学で学力の低い人ほど、宮古でいえば水産高校に回される現実がそれを物語っています。
まあ、そんな人は漁師にはなりません(重茂とか田老とかは除きます)。
漁師はすべて国民年金です。(船員となればまた別です)
熾烈な受験地獄の延長上の出世競争(表現が逆?)の敗者は、オカの上でも高額年金は望めません。
これが、制度的に欠陥であると私は思います。

競争社会では、どうしても勝者と敗者がでます。(勝者と敗者の捉え方は個々によって違いますが、ここでは出世競争においてです)
勝者は敗者に比べれば、精神的にも肉体的にも恵まれます。
当然、報酬も話にならないでしょう。
敗れた者の努力が大きければ大きいほど、勝者の取り分は相対的に大きくなります。
そこで、せめて老後は、支払った年金額に応じない均等な受給額にすべきだと私は思います。
それが公的年金制度の基本的な思想に則ったものではないでしょうか。
敗者に比較して、勝者は、年金受給年齢時に、すでにたくさんの取り分があるわけですから。
これを欠陥ととらえるのは私だけでしょうか。

労働組合などの社会主義的な団体はなぜ、こんな指摘をしないのでしょう。
エラくなった人は、何でもたくさんもらうからでしょう。
自らそれを捨てるようなことは言いません。
ここに社会主義、人権主義の偽善性が見られます。
思想的に「自分のことは自分の勝手でやれ!」という私などが、このようなことを指摘すること自体、悲しいというか、悲惨なことです。

「まったく仕事をしようとしない人ももらえと言うのか?」との問いもでてくるでしょう。
そんな細かいことは、このことを仕事とする人にまかせます。

さっきのおじいさんに話を戻します。
そのおじいさんはある時、息子さん(つまり今のお婿さんの義理の父親)に涙ながら訴えたそうです。
「なんとか自分の面倒をみてくれ」と。
多分、自分の体の調子でも悪かったかどうかでしょう。
そこ家では、おばあさんも手仕事をしますし、そこの家族は仲が良くしかっりしています。
この謙虚で働きもののおじいさんを私たちは見習っていいと思います。

最後に、私の父も年金をもらう年齢ですが、まだもらっておらず(といってもまだ1年目ですが)、仕事も現役バリバリです。
さすがに持久力はダメですが。
このように漁師世界では老人の力は偉大です。
(2003年1月9日)



年金制度のあるべき姿

「中央公論」2004年4月号に、榊原英資氏が書いた「日本型国家社会主義『年金・郵貯』を清算せよ」との題名で寄稿した論文があり、内容は、それらの資金の金融機能と財政機能の両方から検証し、国家予算を緊縮している割に、これらの資金運用の面からみれば、逆にビッグガヴァメント化している、と指摘しています。
ここで私は年金のみを取り上げます。
ちょっとわかりにくいとは思いますが、少し長く引用します。

実は、日本の社会保険制度の最大の問題点は、その民間保険的金融機能(個々人のリスクに応じて計算された保険料を払い、その積立金を基礎に事故や満期の時に保険金を受けとる金融商品としての性格)と、所得を再分配するという財政的機能が明確に分離されていないことなのである。多くの国民は、社会保険の民間保険的金融機能に注目させられ、払い込んだ保険料は民間保険の場合と同様、ある意味で自分の持ち分と錯覚させられている。たとえば年金の場合、日本の制度は、修正積立方式と呼ばれているが、これは金融と財政という視点からすると、その双方の色彩をもっているものだ。日本以外の先進国のほとんどは賦課方式といって純粋に財政的な仕組みで、保険料は事実上の税金として現役世代から徴収され(たとえば、米国では社会保障税と呼ばれている)、それが退職世代に保険金として支払われている。これは、まさに世代間所得再分配で、政府の財政機能そのものである。しかし、日本の場合、厚生年金・国民年金・共済年金を合計すると190兆円を越す積立金が存在し、それをさまざまなかたちで運用するという業務を国が行っている。しかし、積立金は積み立てた被保険者の将来の保険金をカバーするほど大きなものではなく(厚生年金で1999年度ベースで積立金不足は530兆円)、徴収される保険料の大部分は現在の年金の給付に充てられている。つまり修正賦課方式といっても、事実上、賦課方式に近いものになっているのだ。
(「中央公論」2004年4月号p63)

榊原氏は結論として、年金は金融機能をすべてなくし、賦課方式、つまり、完全に同時代の世代間で、年金の収支をはかるべきだとしています。
その背景には金融機能面、つまり運用面での業績に見込みのないことがあげられ、過去の財政投融資資金運用部の杜撰な運用をみても、彼のいうことは正解だと思います。
また、最近では厚生省の内部でもこの資金を流用して、変なものに使ったりした疑惑が持たれています。
これは榊原氏の言うとおり、民間保険的金融機能と財政的機能が明確にされていないことから起こりうることではないでしょうか。
ここまで官僚を信用できないのは、恥ずかしいかぎりです。
彼らは恥ずかしくないんでしょうか。

この賦課方式というのは、実は、このサイトの基本的なテキスト部分である「政治」のページで、「公的年金制度について」と題して、このことに触れています。
私は、年金の民間保険的金融機能を最初から考えてませんし、年金の運用なんて信用してませんでした。
例えば、以前の民間の年金(今はどうなっているのか知りません)では、途中で死んでも元金は戻ってきたはずですが、国民年金は途中で死ねば、ほんの見舞金しか戻ってきません。
それゆえ、「本当は民間の年金は国民年金に比べればかなり有利だよ」と生保の担当者はコソっと教えてくれました。
この違いは何か?
途中で死んだ時に支払われない部分の国民年金の資金はどこへ消えるのか?
どうして民間はそういうことができたのか?
これらを考えると、私はこの国民年金、いや厚生省がらみの資金というのは、まともな運用がなされていなかったではないかと、当時から思っています。
また、年金発足当時、保険料を払わなくても、最初の年金受給者は小額ながら年金をもらったと聞きます。
ということは、年金制度はやはり、世代間で生活を補いあうという思想のもとで運営されるべきものだった。
それゆえ、賦課方式が、最も道理にかなったものだと言わざるをえません。

現在、国民年金を支払わない人がかなりいるといいます。
これは高額受給者を抱える厚生年金よりも、年金運営上は深刻な問題らしく、国民年金と厚生年金を一緒にした場合、国民年金のほうが足を引っ張るとさえ言われています。
ここで、年金を、同時代の世代間の助け合いという位置づけを浸透させ、全面的に年金は財政機能のみとし、不足分は、国の税財源から補填することを明記し、年金の信用度を高めるほうがずっとよい方策だと思います。
、それでもって信用度が増せば、きっと滞納者も支払うようになるでしょう(と書いておきますが、若い人たちは本当のところ、どう考えているのでしょうか?)。
(2004年4月12日)



年金制度と自己責任

国会の年金審議ストップの原因となっている、あの3閣僚の国民年金未払い事件は、話にならない事件ですね。
国民年金の未払いが問題となって、かなりの年月が経っているにもかかわらず、自分の年金保険料がどうなっているのか、少しは気がかりにならならかったのでしょうか?
自己責任放棄(笑)です。
せっかく弱いものいじめに「自己責任」という言葉を使ってますから、こちら側も「自己責任」で「強いものいじめ」をしましょう(笑)。

彼らは、あらゆる年金をもらえないことになります(?)。
だって、年金制度の基礎的な国民年金保険料を納めてないんですから、彼らは1銭ももらう資格はありません。
石破防衛庁長官は未納分は支払うことができましたが、中川経産相と麻生総務相の両名はもう支払うことはできないというのですから。
昭和60年の年金制度改正で、基礎的な年金として国民年金があり、その上に報酬比例の国民年金基金、厚生年金、共済年金があるのですから、最も基礎的な国民年金の未払いの場合、すべての年金を受給できないようにすべきです。
自己管理の甘さ=自己責任、ですから、いちいち「あ〜だ、こ〜だ」って言い訳しないでくださいね。
みっともない!
これは現在たくさんいる未納者にも言えるわけで、その分は税財源から徴収すべきです。
身近に田舎の議員にもいるかもしれませんね。
さて、4月12日に「年金制度のあるべき姿」で、榊原さんの論文を取り上げ、私は賛意を示しました。
国会で彼に最も近い案は民主党の案です。
今の自民党案は、現状を打破するには全く足りないものです。
あれでよく国会を通そうとしますね。
おかしいというのはサルでもわかりますよ。

あと、年金によって、保険料支払いや給付で特例が見られますが、年金ごとの特例(例えば遺族年金とか)はすべて同じにすべきです。
政府の財テクだか何だか知りませんが、その恩恵はそれこそ平等に享受すべきです。
何度も書きますが、「報酬比例分」というのは、自前で、民間の機関を利用すべきだと私は思います。
(2004年4月27日)

加筆
5月2日の夕方の報道番組で、河村たかし民主党議員が「多額な受給額の議員年金だけ国会議員は考えていて、小額な国民年金なんて頭にない」「議員年金を廃止したほうがよく、そうすれば国民年金のことを国会議員が真面目に考えるようになる」と言っていました。
未納の原因、そして抜本的な改正ができないわけがわかりましたね。
河村たかしさんを応援したくなりました(笑)。
現在の国民年金の未納者は4割近くいて、さらに厚生年金基金のほうも加入者はどんどん減っています。
このような公的な年金離れは、政治家の未納兄弟増加で、ますます加速されるかもしれません。
ポスター出演者があのような未納者モデルですから、「未納があたりまえよ!」なんてポスターに書き込めば、ぴったりです(笑)。

テキトー発言はここまでにして、年金財源として税金から取る場合と取らない場合を比較してみます。
税金から取る場合を先に書きますね。
年金財源を税金から取るということは、年金保険料を真面目に支払っている人、すなわち受給資格者にとっては、「二重取り」に見えるかもしれません。
しかし、年金保険料を支払っていない人、すなわち受給資格のない人にすれば、老後に何も恩恵もないのに、ず〜と年金財源として税金を払い続けることになります。
そうなると、比較してお得なのはどっちか?
当然、真面目に払っている人ですね。
このような状況をみんなが考えれば、恐らく年金未納者は少なくなるはずです。
ここで自民案のような支払いと受給の比率だけを変えるような制度ならば、年金未納者は「安心」して未納を続けるでしょう。
自民党案に賛成の方、よ〜く考えてください!
(2004年5月3日)

加筆U
河村たかし民主党議員のサイトに行くと、議員年金廃止法案に賛成する人が公表されています。
意外に少ないですね。
まあ、民主党内だけの結果ですから仕方ありませんけど。
反対もいまして、たぶん、長年議員をやっている人じゃないかなあ、と思っています。
ぜ〜んぶ、一元化すれば、誰もが納得します。
年金=公金=みんなのもの!
命をかけろ!河村たかし!
(2004年5月6日)